岩手開発鉄道ホキ100形30(→35)トン積ホッパ車 |
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岩手開発鉄道は岩手石橋にて採掘される石灰石を大船渡市赤崎町の太平洋セメント大船渡工場まで輸送する鉄道だ。同工場の歴史は古く昭和11年に東北セメント大船渡工場として操業開始,昭和17年に小野田セメントと合併し同社大船渡工場となった。小野田セメントは平成6年には秩父セメントを合併し秩父小野田と改称し,さらに平成10年に日本セメントを合併し太平洋セメントとなり現在に至っている。 岩手開発鉄道は昭和14年に設立され,着工したが戦争のため中断。昭和25年に日頃市線(盛〜日頃市間)を,昭和32年には赤崎線(盛〜赤崎間)の営業をそれぞれ開始した。当時輸送量も少なく営業成績は芳しくなかったが,昭和35年に小野田セメント系列会社が大船渡鉱山を開いたのに伴い,赤崎のセメント工場へ石灰石を輸送するため日頃市〜岩手石橋間を延長開業した。この輸送開始にあわせて30トン積ホッパ車1編成分の10輌と予備車3輌のあわせて13輌が登場した。このうち最初の10輌が小野田セメントの資本系列にある東洋工機にて新製された。これがホキ100形である。その後,輸送量増強のため,輸送本数の増大と編成長が増大され,昭和49年には総輌数43輌となり,18輌編成を2列車を40分ヘッドで24時間運転する凄まじ輸送に発展した。その後20輌編成化を計画したようで昭和54年に7輌を増備したが,この竣工から5ヶ月後には,50輌全車に荷重5トン増の35トン積みへの増トン改造が行われ,20輌編成化は幻に終わった。 昭和59年7月31日の事故によい103,108,115,117,118,139の6輌が廃車された。その後は44輌時代が長らく続いたが,平成12年には151,152の2輌が新製され,現在に至っている。なお,現在では夜間運転は廃止されている。 メーカー別の製造実績は東洋工機が44輌と大多数を占め,川崎重工が3輌,日本海重工と北陸重機が2輌づつ,北日本機械が1輌である。 |
ロット | 番号 | 輌数 | 製造 | |
1 | ホキ101〜110 | 10 | 昭和35年東洋工機 | |
2 | ホキ111,112 | 2 | 昭和35年日本海重工 | |
3 | ホキ113 | 1 | 昭和35年北日本機械 | |
4 | ホキ114〜126 | 13 | 昭和36年東洋工機 | |
5 | ホキ127〜130 | 4 | 昭和38年東洋工機 | |
6 | ホキ131,132 | 2 | 昭和38年東洋工機 | |
7 | ホキ133,134 | 2 | 昭和45年東洋工機 | |
8 | ホキ135,136 | 2 | 昭和45年東洋工機 | |
9 | ホキ137〜143 | 7 | 昭和49年東洋工機 | |
10 | ホキ144〜147 | 4 | 昭和54年東洋工機 | |
11 | ホキ148〜150 | 3 | 昭和54年川崎重工 | |
12 | ホキ151,152 | 2 | 平成12年北陸重機 |