貨車銘板研究室−015 汽車製造→(川崎重工) 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 (タム4000形4027) |
2002/4/30 作成 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 写真90 汽車會社は明治26年に創立された,わが国名門の車輌メーカーで,安治川口駅前に工場を設け,明治32年から蒸気機関車の製造を開始した。 当時,東京には車輌メーカーの草分け的存在で客貨車製造のトップメーカーである平岡工場が盛業中であった。しかし,平岡工場の創業者である平岡煕氏が汽車會社の副社長として迎えられたこともあり,昭和34年に合併し,汽車製造合資会社東京支店となった。また,同時に大阪の汽車會社は汽車製造合資會社大阪本店となった。 昭和11年に本社を東京丸の内に移転したため,大阪本店は大阪支店となり,さらに,昭和19年,両工場は大阪製作所と東京製作所に変更された。 大阪工場では,長らく機関車の製造が中心であったため,戦前製の貨車銘板はほとんどなく,小生も昭和24年製の銘板が最初である。この当時の銘板は,正式名称の大阪製作所の名称入りである。銘板にはその後「製作所」が消え大阪のみとなってゆく。 さて,その銘板であるが,15トン積石油類専用のタム4000形4027のものである。タム4000形は,昭和12年に汽車東京で4000〜4005の6輌が初めて製造された重油専用車で,戦後,石油類に変更された。その後の増備は昭和24年からである。本車は4026〜4036の11輌が昭和石油向けに製造されたロットの1輌である。外観・構造は石油系2軸タンク車として,ごく平凡な物だが,受台側面の丸穴が唯一の特徴であった。もっとも,この丸穴は汽車のみの特徴では無いが。 所有者は生涯,昭和石油であった。廃車は昭和58年8月8日付けであった。
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汽車の銘板 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 タム4000形4027 昭和34年 汽車會社 大阪 昭和4年 汽車製造會社 東京支店 秩父鉄道ホキ10形11 昭和17年 汽車會社 東京工場 タム100形118 昭和25年 汽車會社 東京製作所 昭和36年 汽車會社 東京 タキ1500形15265 昭和43年 汽車會社 宇都宮
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