貨車銘板研究室−015

汽車製造(川崎重工)

昭和24年 汽車會社 大阪製作所 (タム4000形4027)

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2002/4/30 作成

■社名・工場の変遷

明治26年9月 7日 創立 汽車製造(合資)
明治32年7月 5日 改称 大阪汽車製造(合資)
開設 大阪島屋新田(安治川口駅前)に工場開設
明治34年5月 1日 改称 汽車製造(合資)
合併 平岡工場を吸収合併し汽車製造(合資)東京支店とする。
大阪工場は汽車製造(合資)大阪本店とする。
明治45年6月18日 改組 汽車製造(株)
昭和11年 改組 本社を東京丸の内に移転。大阪本店を大阪支店に変更
昭和19年 改組 大阪支店を大阪製作所に変更
東京支店を東京製作所に変更
昭和47年3月11日 吸収合併 川崎重工(株)
汽車製造(株)大阪製作所は川崎重工(株)大阪車両部に変更

■ 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 写真90

 汽車會社は明治26年に創立された,わが国名門の車輌メーカーで,安治川口駅前に工場を設け,明治32年から蒸気機関車の製造を開始した。

 当時,東京には車輌メーカーの草分け的存在で客貨車製造のトップメーカーである平岡工場が盛業中であった。しかし,平岡工場の創業者である平岡煕氏が汽車會社の副社長として迎えられたこともあり,昭和34年に合併し,汽車製造合資会社東京支店となった。また,同時に大阪の汽車會社は汽車製造合資會社大阪本店となった。

 昭和11年に本社を東京丸の内に移転したため,大阪本店は大阪支店となり,さらに,昭和19年,両工場は大阪製作所と東京製作所に変更された。

 大阪工場では,長らく機関車の製造が中心であったため,戦前製の貨車銘板はほとんどなく,小生も昭和24年製の銘板が最初である。この当時の銘板は,正式名称の大阪製作所の名称入りである。銘板にはその後「製作所」が消え大阪のみとなってゆく。

 さて,その銘板であるが,15トン積石油類専用のタム4000形4027のものである。タム4000形は,昭和12年に汽車東京で4000〜4005の6輌が初めて製造された重油専用車で,戦後,石油類に変更された。その後の増備は昭和24年からである。本車は4026〜4036の11輌が昭和石油向けに製造されたロットの1輌である。外観・構造は石油系2軸タンク車として,ごく平凡な物だが,受台側面の丸穴が唯一の特徴であった。もっとも,この丸穴は汽車のみの特徴では無いが。

 所有者は生涯,昭和石油であった。廃車は昭和58年8月8日付けであった。

写真91 タム4000形4027

昭和57年7月18日 南港

汽車の銘板


銘板-015

昭和24年 汽車會社 大阪製作所     タム4000形4027

銘板-016

昭和34年 汽車會社 大阪
 タキ2600形32621

銘板-017

昭和4年 汽車製造會社 東京支店  秩父鉄道ホキ10形11

銘板-018

昭和17年 汽車會社 東京工場        タム100形118

銘板-019

昭和25年 汽車會社

        東京製作所

昭和36年 汽車會社 東京

タキ1500形15265

銘板-020

昭和43年 汽車會社 宇都宮

 

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