貨車銘板研究室−016

汽車製造(川崎重工)

昭和34年 汽車會社 大阪 (タキ2600形32621)

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2002/6/8 作成

■社名・工場の変遷

明治26年9月 7日 創立 汽車製造(合資)
明治32年7月 5日 改称 大阪汽車製造(合資)
開設 大阪島屋新田(安治川口駅前)に工場開設
明治34年5月 1日 改称 汽車製造(合資)
合併 平岡工場を吸収合併し汽車製造(合資)東京支店とする。
大阪工場は汽車製造(合資)大阪本店とする。
明治45年6月18日 改組 汽車製造(株)
昭和11年 改組 本社を東京丸の内に移転。大阪本店を大阪支店に変更
昭和19年 改組 大阪支店を大阪製作所に変更
東京支店を東京製作所に変更
昭和47年3月11日 吸収合併 川崎重工(株)
汽車製造(株)大阪製作所は川崎重工(株)大阪車両部に変更

■ 昭和34年 汽車會社 大阪 写真94

 昭和25年頃から銘板から大阪製作所の文字が消え,大阪のみの表示となった。配置も,上段に「大阪」が,下段に製造年が入るようになっり,「大阪」の間には汽車會社の社章が刻まれている。

 この銘板は,タキ2600形32621のものであるが,この銘板はこの車輌は車籍編入したときのものでは無い。特徴ある台枠と受台から分かるように,わが国初の液化エチレン専用タンク車タ300形302から昭和39年に汽車東京で改造されたもので,この銘板はタ302のものであった。

 タ300形は,汽車が開発した我が国唯一のマルチボンベタンク車で,昭和34,35年に8輌が新製された。画期的なタンク車であったが,荷重約6トンに対し,自重が約44トンに達する輸送効率の悪さが欠点であった。所有者は日本曹達で,川崎の日本石油化学から二本木へ華々しくエチレン輸送を開始したが,昭和37年に日本曹達の子会社である日曹油化工業が京葉コンビナートで酸化エチレンの生産を開始し,僅か数年で職を失ってしまった。

 こうして余剰となったタ300形であるが,昭和39,40年に7輌がカセイソーダ専用車タキ2600形へ改造され,第二の人生を歩み始めることになった。

 改造では,種車の台枠以下をそのまま使用したため,台枠幅は通常の2200mmに対し,2600mmと異様に広く,さらにチャンネルを逆向に使用した側梁が強烈な印象を与えている。受台はこの幅広の台枠に合わせた勾配の緩やかなものを使用し,締金の固定を受台の中で行うため,縦長のスリットが入る珍しい外観となった。

 所有者は一貫して日本曹達で,昭和39年6月5日の車籍編入時は二本木駅常備であったが,1ヶ月後能町へ移動した。昭和54年には傷んだ断熱材とキセを取替へ,昭和63年には古巣の二本木へ戻り,平成に入っても活躍していたが,いつの間にか廃車されてしまった。

写真95 タキ2600形32621

昭和57年10月9日 二本木

汽車の銘板


銘板-015

昭和24年 汽車會社 大阪製作所     タム4000形4027

銘板-016

昭和34年 汽車會社 大阪
 タキ2600形32621

銘板-017

昭和4年 汽車製造會社 東京支店  秩父鉄道ホキ10形11

銘板-018

昭和17年 汽車會社 東京工場        タム100形118

銘板-019

昭和25年 汽車會社

        東京製作所

昭和36年 汽車會社 東京

タキ1500形15265

銘板-020

昭和43年 汽車會社 宇都宮

 

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2002/6/8 作成