貨車銘板研究室−016 汽車製造→(川崎重工) 昭和34年 汽車會社 大阪 (タキ2600形32621) |
2002/6/8 作成 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和34年 汽車會社 大阪 写真94 昭和25年頃から銘板から大阪製作所の文字が消え,大阪のみの表示となった。配置も,上段に「大阪」が,下段に製造年が入るようになっり,「大阪」の間には汽車會社の社章が刻まれている。 この銘板は,タキ2600形32621のものであるが,この銘板はこの車輌は車籍編入したときのものでは無い。特徴ある台枠と受台から分かるように,わが国初の液化エチレン専用タンク車タ300形302から昭和39年に汽車東京で改造されたもので,この銘板はタ302のものであった。 タ300形は,汽車が開発した我が国唯一のマルチボンベタンク車で,昭和34,35年に8輌が新製された。画期的なタンク車であったが,荷重約6トンに対し,自重が約44トンに達する輸送効率の悪さが欠点であった。所有者は日本曹達で,川崎の日本石油化学から二本木へ華々しくエチレン輸送を開始したが,昭和37年に日本曹達の子会社である日曹油化工業が京葉コンビナートで酸化エチレンの生産を開始し,僅か数年で職を失ってしまった。 こうして余剰となったタ300形であるが,昭和39,40年に7輌がカセイソーダ専用車タキ2600形へ改造され,第二の人生を歩み始めることになった。 改造では,種車の台枠以下をそのまま使用したため,台枠幅は通常の2200mmに対し,2600mmと異様に広く,さらにチャンネルを逆向に使用した側梁が強烈な印象を与えている。受台はこの幅広の台枠に合わせた勾配の緩やかなものを使用し,締金の固定を受台の中で行うため,縦長のスリットが入る珍しい外観となった。 所有者は一貫して日本曹達で,昭和39年6月5日の車籍編入時は二本木駅常備であったが,1ヶ月後能町へ移動した。昭和54年には傷んだ断熱材とキセを取替へ,昭和63年には古巣の二本木へ戻り,平成に入っても活躍していたが,いつの間にか廃車されてしまった。
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汽車の銘板 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 タム4000形4027 昭和34年 汽車會社 大阪 昭和4年 汽車製造會社 東京支店 秩父鉄道ホキ10形11 昭和17年 汽車會社 東京工場 タム100形118 昭和25年 汽車會社 東京製作所 昭和36年 汽車會社 東京 タキ1500形15265 昭和43年 汽車會社 宇都宮
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2002/6/8 作成 |