貨車銘板研究室−018 汽車製造→(川崎重工) 昭和17年 汽車會社 東京工場 (タム100形118) |
2002/6/15 作成 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和17年 汽車會社 東京工場 写真98 昭和11年に本社が東京丸の内へ移り,翌12年,汽車會社東京支店は東京工場となった。戦争末期の昭和19年に,「工場」は「製作所」と組織名が変更されたため,この銘板を持つ車輌は少ない。 戦中に増備されたタンク車といえば,タム100形があまりにも有名である。この銘板は,まさしくタム100形のもので,車番は118である。汽車製のタム100形は非常に少なく100,101,117〜122の8輌にすぎない。大多数は日立製作所製で大阪鉄工所製を含めると全体の8割の190輌に達した。 タム118はの新製時の所有者は第三海軍火薬廠で,常備駅は中舞鶴であった。敗戦後は戦利品として接収され車籍除外された。しばらく何処で眠っていたかは不明であるが,昭和27年に日本陸運産業が払い下げて,2回目の車籍編入をしている。この日本陸運産業はブローカー的な存在で,直ぐに三菱化成所有となった。昭和49年の1年間は日本化成所有となったが,三菱化成に戻り,黒崎から安治川口への濃硝酸輸送に従事していた。 外観構造及び寸法は,昭和10年汽車製のタム100,101と同様で,細長い純アルミ製タンク車を長さ7,300mmの長い台枠に載せてたものである。タンク体の固定は,現在の純アルミ製タンク車と異なり,普通鋼製タンク車と同様の小さな受台を用いたものであった。しかし,この方式は強度の低い純アルミ製タンクには不適切で,数年の内にタンク体が変形してしまった。このため,昭和20年代後半から痛んだタンク体を,三菱が開発した強化形純アルミ製タンク体に載せ変える改造が盛んに行われた。 このタム118も例外ではなく,昭和38年にタンク体の更新が行われた。写真99は内部に補強を兼用した皿形の波除板を設けた強化形純アルミ製タンク体に交換した後の姿で,同時に受台も見慣れた大型受台4組に交換された。走り装置は,新製時1段リンク式であったが,昭和43年に国鉄工場で2段リンク式に改造されている。 昭和50年代後半はタム115と共に安治川口のマスコット的な存在であったが,昭和63年にタム115と一緒に廃車されてしまった。
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汽車の銘板 昭和24年 汽車會社 大阪製作所 タム4000形4027 昭和34年 汽車會社 大阪 昭和4年 汽車製造會社 東京支店 秩父鉄道ホキ10形11 昭和17年 汽車會社 東京工場 タム100形118 昭和25年 汽車會社 東京製作所 昭和36年 汽車會社 東京 タキ1500形15265 昭和43年 汽車會社 宇都宮
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