貨車銘板研究室−014 大阪鉄工所→(日立造船) 昭和十六年 大阪鉄工所 (タム100形115) |
2002/5/31 修正 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和十六年 大阪鉄工所 写真88 大阪鉄工所は明治14年個人会社大阪鉄工所として創立された造船会社で,大正3年に株式会社大阪鉄工所として設立,昭和18年に日立造船に改称され,現在も盛業中である。工場は大阪桜島であったが,現在は廃止され,跡地はユニバーサルスタジオになっている。 タンク車の製造は大正15年に製造されたリ2520形(→タム300形314形)がはじまりである。昭和10年以降は化工機やプラント製作において,ステンレスやアルミニウムの高い製造後術を利用し,タ580形等の高圧ガスタンク車やタム100形の純アルミ製タンク車を製造し,戦前期においてほぼ独占的な地位を占めていた。 さて,大阪鉄工所の銘板は,楕円銘板の中心に,社章を配し,その上に「大阪鉄工所」の文字を,下側に製造年を漢数字で配していた。社章の由来は「日立造船百年史」によれば次のようなものである。『大阪鉄工所OSAKA IRON WORKSの頭文字OIWを組み合わせたものである。明治39年当時創業25周年に当たり懸賞募集を行い,明治40年4月1日に制定された』この社章は日立造船に改称した昭和18年まで使われた。 昭和16年製造の車輌は,15(→14)トン積濃硝酸専用のタム100形115である。大阪鉄工所として昭和12年製の102から13作目の製品であった。タム115は吉岡心平著「私有貨車セミナー第28回(レイルマガジン1995年11月号)」に詳細が解説されているため,省略するが,タンク体の外観・構造は写真と大きく異なっており,受台も幅広のものを2個用いていた。 写真のタンク体は,昭和38年に三菱で,老朽化したタンク体を撤去し,内部に補強を兼用した皿形の波除板を設けた強化形純アルミ製タンク体に交換した後の姿で,同時に受台も見慣れた大型受台4組に交換された。走り装置は,新製時1段リンク式であったが,昭和43年に国鉄工場で2段リンク式に改造されてている。 新製時の所有者は海軍火薬支廠で大河原を常備駅としていた。昭和17年に第一海軍火薬廠に改組され,敗戦後は戦利品として接収され,車籍除外された。その後,昭和24年に日本陸運産業が再度車籍編入し,旭交易,東京貿易と移り,輸入糖蜜輸送に従事していたと推測されるが,昭和28年に日本陸運産業が買い戻したのも束の間,昭和32年に三菱化成工業に移っり,黒崎が常備駅となった。ここが永住の地となり,その後長らく本来の濃硝酸輸送に従事していた。廃車は昭和63年と遅く,タム100形の中では長寿であった。
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お礼 大阪鉄工所の社章の由来の間違いを訂正しました。 大阪在住の坂井様,ご指摘ありがとうございました。 |