吉岡心平のマーク

タ600形764

私有貨車

 形式
索引

タ580形
タ900形

 番号
[ロット表]

タ638
タ820

 ページ
索引

特別編581
特別編583

積荷
●構造

入口


 タ600形は、昭和3年の大改番で10トン積の石油タンク車を纏めた形式だが、今回はその中でも多数を占めたグループを紹介する。

 タ764は、ア2266M44形2314として明治40年新潟で製作された。同形式は南北石油が明治40〜41年に2社で一挙に100両製作したもので、当時は米国のように所有者毎に番号を付与したため、南北石油の油49として生を受けている。

 設計比重は0.88・タンク容積は11.3m3であった。メーカーは新潟だが、この頃同社が製作していた他社向のタンク車と外観は異なり、むしろ海外の設計に類似していた点が注目される。
 タンク体は鋲接で、直径は1.676mm(5.5フィート)であった。タンク体と台枠の固定は繋ぎ板方式で、台枠側梁とタンク体とは6枚の繋ぎ板で剛結合されていた。

 台枠は長さ5,791mm(19フィート)、軸距3,353mm(11フィート)で、大正12年に螺旋・連鎖連結器から自連に改造された際に改造を受けた。走り装置はシュー式であった。

 落成時の所有者は南北石油で、明治42年2月に国油共同販売所となり、記号番号も同社コ220となった。販売カルテル解消で明治43年10月には寶田石油KK所有となり、明治44年9月の称号改正でア2266M44形2314となった。
 その後、大正11年10月の合併で日本石油KK所有・雄物川駅常備となり、昭和3年の大改番後は常備駅が昭和5年5月柏崎、昭和10年11月石油と移動した。昭和18年4月には帝国石油KK所有となり、その後会社名は共同企業→日本原油輸送→日本石油運送→日本石油輸送と変遷したが、常備駅は一貫して柏崎で過ごし、昭和36年10月に廃車となった。


【特別編582】050429作成R4A、070726R4A2、081224R4BY。

タ600形764の写真

【写真1582】 タ600形764 P:吉岡心平所蔵

写真は昭和30年代に、造機車両で更新修繕を受けた際のもの。