吉岡心平のマーク

タム500形590

私有貨車

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タム400形
タム600形

 番号
[ロット表]

タム586
タム594

 ページ
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特別編230
特別編232

積荷
●構造

入口


 タム500形と言えば、2軸タンク車の最多両数形式で、趣味的興味に欠けると思い勝ちだが、中には今回紹介するような珍車も混じっていた。

 タム590は大東亜戦争たけなわの昭和17年7月に新潟で製作された。一ロット一両で、更に言えば昭和17年製のタム500形はこの一両だけある。

 当時は石油資源の不足を補うため、石炭を分解・液化して石油代用とする技術開発が盛んに行なわれた。戦争中にも拘らず、本車の増備が認められたのは、所有者が日産液体燃料KKで、筑豊炭の液化を生業としたためである ・・・とは言え、僅か1両しか製作されなかった事からも、その規模が判ると言うものだ。
 外観は、昭和15年6月新潟製のタム580〜

589に酷似したもので、ドームは車体中央となり、タンク受台は小型のもの8個が分散配置されている。台枠は平台枠だが、側梁には150mmチャンネルを使用し、戦前製タム500形の通例として軸距が短く、大型のタンク体と比較して如何にも華奢に見える。

 落成時の所有者は日産液体燃料KK・常備駅は二島であった。同社所有のタンク車は、結局この一両だけに終っている。その後、会社名は日産炭化工業KKとなり、昭和31年3月に日本鉱業KKに移籍し船川港駅常備となった。常備駅は東小倉、日鉱前、水島と変遷し、昭和41年8月には共同石油KK所有・東水島駅常備となった。写真はこの時代のもので、新設した社紋板を纏った姿からは、その複雑な過去は想像もつかない。写真から半年後の昭和49年8月に廃車となっている。


タム500形590の写真

【写真1231】 タム500形590 昭和49年3月30日 塩浜操駅にて P:吉岡心平


【特別編231】020708作成、040718R4、050413R4A、070627R4A2、090202R4B、131010R4C。