吉岡心平のマーク

タム400形406

私有貨車

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タム300形
タム500形

 番号
[ロット表]


タム414

 ページ
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特別編199
特別編201

積荷
●構造

入口


 特別編200回は、記念として思いっ切り古いタンク車を取り上げよう。この写真は、古くからの貨車仲間である遠藤文雄さんが、「日産化学のタム400」に合せて送って下さったものだ。

 タム406は昭和4年2〜3月新潟で製作された404〜07の一員である。昭和3年の改番でタム400形はア2510・2560形から4両改番されたが、初めからタム400形を名乗ったロットとしては、本ロットが初めてだ。

 外観・構造は下の写真を見て頂くとして、タンク体は鋲接である。タンク体と台枠の固定方法はは横木方式だったようだが、後年鏡板下部と台枠とを支え金で固定する方式に改造された。写真で、鏡板下部と台枠のデッキ部との間に見えるのが、この支え金である。またタンク体の鋲接継手が妙な位置で切れているが、これはドームを含むタン

ク体中央部を溶接製の新品と、そっくり交換したためだ。
 下回りでは、華奢な台枠やゲタ履きのシュー式走り装置・W型の軸箱守なども見所である。

 落成時の所有者は大日本人造肥料KK・常備駅は須賀であった。昭和9年9月、共販会社である東部硫酸販売KKに移籍し、常備駅は昭和11年3月錦糸町、同年12月沼垂、昭和17年5月東新潟港、そして同年8月新潟港と各地を転々とした。昭和18年3月、初めて日産化学工業KK所有となったが、同年6月には合併で日本鉱業KK所有となった。昭和18年7月、戦時統制により日本硫酸配給統制KKに移籍し、社名は昭和19年5月日本硫硝酸統制KK、戦後は日本硫硝酸KKとなった。その後、日産化学工業KKに復帰してからは速星駅常備を動くことなく、ヨンサントウで不適格車となり、昭和43年9月に廃車となった。


【特別編200】020505作成、030124リンク変更、040714R4、050421R4A、071024R4A2、090613R4BY。

タム400形406の写真

【写真1200】 タム400形406 昭和42年頃 田端操駅にて P:遠藤文雄

【遠藤さんから貴重な写真を提供して頂きました】