吉岡心平のマーク

ホキ8800形18800

私有貨車

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ホキ8500形
ホキ9300形

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ロット表

ホキ8827

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第130週
第132週

積荷
●構造

入口


 ホキ8800形は特別編102で紹介したが、今回は奥多摩所有の18800番台車を解説する。

 奥多摩の生石灰ホキは、浜川崎の日本鋼管や蘇我の川鉄千葉に運用されていた。当時主力だったホキ4700形は、走行性能が劣る「ロ」車で連結列車に制限を受けるため、主要線区を通過しダイヤ上タイトな後者の運用についてはスピードアップが計画された。当初は台車改造で対応する予定だったが、試験の結果は荷重減が必須であった。そこで改造はあきらめ、75Km/h対応の新車を造ることになったが、国鉄の都合で私有貨車を作らせる訳にもいかず、自前で調達したのが国鉄ホキ2800形である。本来私有貨車となるべき車両をあえて国鉄が造った背景には、こんな秘話が隠されていた・・・

 閑話休題、これではまるでホキ2800形解説だが、今回紹介するホキ8800形18800番台は、その後の増備車を、再び私有貨車に戻したため誕生したグループでなのである。
 従来のホキ8800形と国鉄ホキ2800形では、

荷卸しの際に用いる側扉自動開閉装置の構造が異なるが、この増備車はホキ2800形との混用するため、構造をこれに合わせた。

 ホキ18800は昭和48年8月日車製で、18800〜02の3両1ロットが製作された。
 誕生の経緯から判るように、外観・構造はホキ2800形と同一である。ただ台車は、私有貨車のためコストの高いTR213は使用せず、TR41Eとした。塗色も赤3号とはならず黒のままである。

 所有者は奥多摩化工KK・常備駅は奥多摩であった。同社所有のホキ8800形は少数だったが、これは国鉄ホキ2800形が投入されたためである。同社の生石灰ホキは最高速度制限のあるホキ4700形は南武線経由で浜川崎に、制限のない本形式などは蘇我に運用されていた。社名は昭和49年12月奥多摩工業KKとなった。昭和61年8月にKK古田石灰工業所に売却され、昼飯駅常備となったが、昭和62年11年に廃車となった。廃車になってからも留置されていたので、ご覧になった方も多いことだろう。


【第131週】030302作成、040228リンク追加+R4、040806リンク変更、050421R4A、070625R4A2、081201
R4BY。

ホキ8800形18800の写真

【写真131】 ホキ8800形18800 昭和51年5月15日 拝島駅にて P:吉岡心平

この写真は吉岡写真CD−ROM第23巻に「P01377」として収録されています。