貨車銘板研究室−007 飯野産業→飯野重工→舞鶴重工 昭和41年 舞鶴重工 (タキ4000形34064) |
2002/3/15 作成 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和41年 舞鶴重工 写真32 飯野重工業(株)は昭和38年に舞鶴重工業(株)に改称し,飯野として初めて,社名のみの銘板が誕生した。従来「舞鶴」と鋳出しされていた最上部に何も文字が無くなったことと,「昭和41年」の文字が大きいことから,ちょっとアンバランスな印象を受ける。 この銘板はタキ4000形34064のものである。タキ4000形は昭和13年に登場した35トン積濃硫酸専用車で,15トン車のタム400形が濃硫酸の標準形式であった当時として,画期的な超大型車であった。時代を先取りした35トン車もその後増備はしばらく無く,次ぎに生産が開始されたのは昭和35年になってからである。昭和43年まで製造が続き,合計400輌に達した。 飯野製のタキ4000形は珍品で,この34064と同一ロットの34065の2輌が全てある。これ飯野の濃硫酸タンク車の顧客である同和鉱業(株)がタキ300形を46輌新製してから間が無いため,同社がタキ4000形を増備しなかったことが原因である。 外観・構造は一見,タキ4000形としてごく平凡なものである。しかし,台車に注目して欲しい。タキ4000形は全車TR41Cとして新製され,昭和45年の第1次台車改造では,大多数がBC間距離6m以上であったため,TR41D改造されたものは僅か14輌に過ぎす,大多数はTR41Cなのである。また,タンク内径もタキ4000形の大部分が1,700mmであるのに対し,1,756mmと一回り大きくなっている。このため,タンク長さも短く,これが台枠長さ9,100mmと,タキ4000形で最短のものとなった。また,一枚物で作られた受台も特徴である。このように,隠れた異端児を発見することこそ,私有貨車の醍醐味である。 所有者は,新製時から長らく日本鉱業(株)で,常備駅は敦賀であった。平成4年に,日鉱金属(株)に変更され,平成9年には長らく住み慣れた敦賀の地を離れ,東邦亜鉛(株)安中へ移った。平成13年現在では健在である。
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飯野の銘板 昭和24年舞鶴車輌 飯野産業 タ1200形1231 昭和24年舞鶴造船 飯野産業 タム500形2538 昭和26年 飯野車輌 舞鶴 タム500形2659 昭和34年 飯野車輌 舞鶴 タキ300形4444 昭和34年 飯野重工 舞鶴 タキ3600形3608 昭和41年 舞鶴重工 タキ4000形34064
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