貨車銘板研究室−003

飯野産業→飯野重工→舞鶴重工

昭和24年 舞鶴造船 飯野産業 (タム500形2538)

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2002/2/28 作成

■社名・工場の変遷

昭和19年3月 創立 飯野産業(株)
昭和22年 工場設立 飯野産業(株)舞鶴車両製作所
昭和24年 工場改称 飯野産業(株)舞鶴造船所車両部
昭和28年11月 改称 飯野重工業(株)
昭和38年4月 改称 舞鶴重工業(株)
昭和46年4月 合併吸収 日立造船所(株)舞鶴工場
※表のように社名変更を重ねたが,原稿では飯野の名称を統一的に使用する

■ 昭和24年 舞鶴造船 飯野産業 写真11

 飯野は,飯野産業→飯野重工→舞鶴重工と社名変更を重ね,さらに,銘板には「飯野造船」や「飯野車両」なんてのも存在する,研究者泣かせの会社である。このように,社名が変更となっても,車輌の設計や製造技術は継続されていることから,古くから貨車の解説では,製造所として「飯野」の名称を統一的に使用している。

 さて,飯野最初の銘板は,舞鶴造船である。貨車の楕円銘板は,中央に大きく製造会社名を,その下に製造年を入れる例が多い。しかし,飯野は天の邪鬼で,中央に製造部門もしくは製造工場名を大書きしていた。これは,飯野産業が造船,車輌製造,港湾荷役,陸上運搬,商品販売,代理業,林業,木材業等を手がける多角経営の会社で有るためで,車輌製造部門や工場を明確にする必要があったためと考えられる。

 飯野産業の車両工場は,昭和24年に「舞鶴車両製作所」から「舞鶴造船車両部」に改称しており,この銘板はその当時のものである。銘板は写真11にあるように舞鶴造船を中心に据え,正式社名の舞鶴産業はその上に小さく書かれていた。

 この銘板の主は,タム500形2538であり,撮影場所は,伏木から少し離れた防波堤沿いで,タム4000形と共に,余剰車の留置場所であった。海が荒れると飛沫がタンク車まで飛んで来るようで,タンク体や台枠には塩の結晶がびっしり付いていたことが思い出される。この線路も,当然,今は跡形もない。

 タム2538は,製造時から出光興産所有で,2534〜2538の5輌が同一ロットとして製造された。タム500形は昭和6〜36年までに621輌が製造された2軸タンク車の代表形式で,戦前(戦中を含む)は昭和18年までに121輌が製造されている。戦後は,昭和24年から製造が再開され,同年に製造された本車は,飯野として初めて製造するタム500形であった。このため,構造や寸法は,戦前の大手タンク車メーカーであった新潟鉄工所に範をを求めたようで,ごく標準的なものであった。ただし,船用の大型ロール成型機を保有していることから,タンク体の胴板は,長手方向を1枚ものとした。写真12の,タンク中心線の溶接線が,この接合部で,飯野製を見分けるポイントであった。 また,ドーム頂部は工作の簡素化のため,ドラム缶型である。

本車は,最後までドーム廻りに手摺りが設置されず,新製時の姿をよく残していたが,昭和58年に廃車されてしまった。

 阿部貴幸様から飯野の社史関係について貴重なご教授を頂きました。感謝すると共にお礼を申し上げます。

写真12 タム500形2538

昭和57年10月10日 伏木

飯野の銘板


銘板-002a

昭和24年舞鶴車輌 飯野産業

タ1200形1231

銘板-003

昭和24年舞鶴造船 飯野産業

タム500形2538

銘板-004

昭和26年 飯野車輌 舞鶴

タム500形2659

銘板-005

昭和34年 飯野車輌 舞鶴

タキ300形4444

銘板-006

昭和34年 飯野重工 舞鶴

タキ3600形3608

銘板-007

昭和41年 舞鶴重工

タキ4000形34064

 

 

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