吉岡心平のマーク

ホキ4200形4214

私有貨車

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ホキ4100ニ代形
▼ホキ4300形

 番号
ロット表

ホキ4200
ホキ4217

 ページ
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特別編607
特別編609

●積荷
構造

入口


 ホキ4200形は30トン積石灰石専用車で、昭和34〜42年に128両が製作された。所有者と運用線区により2グループに大別されるのは既に述べたが、今回取り上げたのは、奥多摩地区にいたグループの変形車である。

 奥多摩地区の石灰石輸送車は、私鉄時代に製作され、国鉄買収でセキ4000・セサフ1形となったホッパ車達に遡る。その後の増備は、国鉄がセキを改造したホキを投入した。このような場合、セキのまま代用するのが通例だが、奥多摩の場合は私鉄時代の積込ホッパ高さが低かったため、車体を切り詰めざるを得なかったようである。
 ところが昭和33年、国鉄当局が政策を変更し、無蓋ホッパ車にも私有を認めることになったため、その後の増備は私有車と国鉄車の二本立てとなった。
 世の中では、本形式は国鉄ホキ400形の後継車と思う人が多いが、実際に投入された時期は両者がほぼ並立していた点は、留意しておいて良いだろう。

 このような経緯から、本形式の外観・構造はホキ400形類似となった。折角の新車なのに石灰石に最適化した設計としなかった裏には、こうした事

情があったのである。とは言え、主要部分は戦後製のセキ3000形同様として近代化したのは、勿論であった。

 ホキ4214は昭和34年5月新潟で4210〜14の5両ロットとして製作された。

 さて、変形車の種明かしだが、側扉を良くご覧頂きたい。下端がアングル材でなく、Z字形のプレス材となっている。これは側扉の変形による積荷漏洩を防止するため、長手方向の強度を増すべく昭和26年製セキ3000形で試行された形を採用したものだが、更に驚くべきことは、側扉の縦桟もアングル材からチャンネル材に強化されている。
 このように側扉強度を向上した設計は、本形式でもこのロットだけの特徴であった。しかし、新潟製でも翌35年製からは他社並みの構造に戻されたから、どうやら過剰装備だったようである。

 所有者は奥多摩工業KK・常備駅は氷川であった。昭和46年に駅名は奥多摩に改称された。
 その後、ホキ34200形第二次改造グループの種車となり、昭和58年12月にホキ34200形34317に改造された。同形式では最後まで残ったうちの1両となり、平成6年7月に廃車となった。


ホキ4200形4214の写真

【写真1608】 ホキ4200形4214 昭和51年5月15日 拝島駅にて P:吉岡心平

側扉の下端と縦桟をよく見てね。


【特別編608】050720作成R4A、070530リンク変更、071126R4A2、081005R4BY、140220R4C。