吉岡心平のマーク

クム80000形80050

私有貨車

 形式
索引

クム3000形
クム1000JRF形

 番号
ロット表

クム80048
クム80062

 ページ
索引

特別編603
特別編605

積荷
●構造

入口


 既に3グループを紹介したクム80000形だが、今回はJR貨物が製作したロットを取り上げる。

 クム80000形は昭和61年に登場後、急速に両数を拡大したが、昭和62年製のうち最後の2両となったクム80049,80050は、JR貨物広島車両所で製作された。

 国鉄工場が私有貨車を製作した例は、隠れたものとしては以前紹介した事故復旧車があるが、公表されている例では、昭和5年に輸入したグラスライニングタンクに組合せるため、苗穂工場で下回りを製作したタ1100形程度と少ない。

 今回、JR広島車両所が製作した真意は定かではなく、似たような内製例はJR東日本などでも見られたが、少数の製作ではコストが低減出来るとも思えない。技術伝承が主眼だったのだろうか。
 ともあれ外観・構造はメーカー製、中でも川崎製と酷似していたので、恐らく図面を使用したキットメ

イキングではないかと思われる。
 登場から暫くの間、クム80000形の現車調査では「手摺の有無と数」がポイントであった。デッキへのトラック運転者の乗降には、車側に小形ステップが3箇所用意されていたが、実態は登り難く不評であり、後に車端部に手摺と踏段が追加された。問題はその数と配置で、最終的には全て車体四隅に統一されたが、過渡期にはさまざまな例が存在した。写真では右端奥の一箇所だけに見えるが、恐らくこれが本車の落成時の姿だと思われる。

 所有者は日本フレートライナーKK・常備駅は東京貨物ターミナルで、他車に混じって使用された。東海道へのクム1000系投入に伴い、上越運用に転用され、平成2年5月に新潟貨物ターミナルに移動した。バブル崩壊によるリセッションで、ピギーバック輸送が中止され、僚車が平成7〜9年に廃車となってからも、この2両はクム80000形消滅の日まで残り、平成14年7月に姿を消した。


クム80000形80050の写真

【写真1604】 クム80000形80050 昭和63年4月24日 東京貨物ターミナル駅にて P:吉岡心平


【特別編604】050629作成R4A、071128R4A2、070918R4A2、081002R4BY、100721R4B、130721R4C。