吉岡心平のマーク

タラ1形9

私有貨車

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タム25000形
タラ100形

 番号
[ロット表]


タラ39

 ページ
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特別編576
特別編578

積荷
●構造

入口


 今回はクラシックな3軸タンク車を紹介しよう。

 タラ1形は19トン積のガソリン専用車で、昭和4〜6年に46両が新潟で製作された。タラ13〜31の19両はタサ500形20トン車を荷重変更したものである。ちなみに19トンと半端な荷重は、揮発油タサの元祖が、通常の20トン積の石油タサに低比重のガソリンを積んだことに起因する。

 タラ9は昭和5年5月新潟製で、3〜12の10両ロットとして製作された。
 一年前に製作されたタラ1,2は、タンク体と台枠間の固定が繋ぎ板方式だったのに対し、このロットからセンタアンカ方式を採用したため、外観は現代のタンク車に通じるものとなった。

 設計比重は0.79・タンク容積は25.2m3で、普通鋼製のタンク体は鋲接で組立られた。タンク寸法は直径2,062mm・長さ7,800mmで、台枠との固定はセンタアンカ方式となり、帯金はタンク両端と中央の合計3箇所に設けられた。落成時はタンク周囲に保冷用のキセが設けられていたが、戦中〜戦後の早い時期に撤去された。

 台枠は標準的な平形で、長さ8,350mm・軸距2,745×2、ブレーキは片側+空気であった。走り装置は3軸貨車標準の一段長リンク式で、車軸は12トン長軸、そして軸箱守にはプレス品を本形式で初めて採用した。

 落成時の所有者は中野興業KK・常備駅は西仲通及関屋から、昭和10年6月に羽後平沢及び新潟臨港、同年8月には西仲通及び新潟臨港と変遷した。戦前ではこのような複数常備駅と認めていたことは、覚えておいて良いだろう。昭和17年12月には西仲通と単独駅の常備となり、昭和18年4月には国策会社の帝国石油KKに引き継がれた。昭和20年1月には輸送部門分離で共同企業KKとなり、昭和21年4月には改組により日本原油輸送KKとなった。その後、一旦石油配給KKに移ったが、昭和25年1〜12月にかけて順次、出光・栄企業・日石輸送・東燃・日鉱に移籍した。
 写真のタラ9は10と共に出光興産KKの所有となり、常備駅は浜川崎を振り出しに昭和39年8月には水江町に移った。ヨンサントウでは昭和43年9月付で本輪西駅に転属することで生き残ったが、昭和47年9月に廃車となった。


タラ1形9の写真

【写真1577】 タラ1形9 昭和46年9月16日 本輪西駅にて P:堀井純一

【堀井さんから貴重な写真を提供して頂きました】

ドーム頂部の鍔や液入れ管の台座は、保冷キセを除去したために生じたものである。


【特別編577】050412作成R4A、070830R4A2、090101R4BY、100409R4B。