吉岡心平のマーク

タム1形1

私有貨車

 形式
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タ13300形
タム40形

 番号
[ロット表]


タム2

 ページ
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特別編453
特別編455

積荷
●構造

入口


 数ある古典タンク車の中でも、タム1形は良く撮影されている形式だが、番号にまで拘ると流石に良い写真が少ない。

 タム1形は昭和3年の大改番の際、14トン積の石油タンク車をまとめた形式である。最初の20両はア2400M44形・残り2両はア2430二代M44形であった。なお最後のタム23は、昭和24年に作られた戦災復旧車である。

 タム1は大正11年7月新潟でア2400M44形2400として誕生した。
 当時の石油タンク車は、大正3年にフア27000M44形が登場して以来、3軸20トン車と2軸10トンとが並行して増備されるようになった。現在のタキ35000形とタキ43000形の関係に似ているかもしれない。
 閑話休題、ア2400M44形は、タとタサの中間に位置する車両として開発されたもので、一言で言

えばタサ1形を2/3として2軸車としたもの。従って荷重も20トンの約2/3である14トンとなった。

 タンク体は鋲接で、タンク体と台枠の固定はタサ1形と同様に一体化方式である。タンク体は中梁を省略した台枠の側梁間に落し込まれ、両者は片側3ケ所の繋ぎ板で一体となっている。走り装置は1段リンク式であった。

 所有者は帝国石油KK・常備駅は道川であった。落成から僅か4ケ月後の11月に社名は旭石油KKとなり、常備駅は道川・徳山・西戸崎の各地を巡り、昭和7年5月からは浪速駅の常備となった。配給統制では昭和16年4月に石油共販KK所有・安治川口駅常備に移り、戦後は日本原油輸送KK所有・八森駅常備となった。その後会社名は日本石油運送KK・日本石油輸送KKと変わったが一生を八森で過ごし、昭和38年7月に廃車となった。


【特別編454】040110作成R4、050430R4A、070723R4A2、090330R4BY。

タム1形1の写真

【写真1454】 タム1形1 P:吉岡心平所蔵

タムの脇の「+」はブレーキシリンダ未装備車の印。本形式は中梁がないため、設置が難しかった。