吉岡心平のマーク

タキ3000形3047

私有貨車

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タキ2800形
タキ3500形

 番号
[ロット表]


タキ3052

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特別編232
特別編234

積荷
●構造

入口


 「米タン」に纏わる隠れたエピソードのひとつに、国鉄貨車から私有貨車になった車両の話がある。今回は不思議な縁に彩られたタキ3047,49の2両について紹介することにしよう。

 昭和42年8月8日の深夜1時45分、新宿駅構内で、浜川崎発立川行の下り米タン列車と、氷川発浜川崎行の上り石灰石列車が衝突した。その際、下り列車のタンク車4両と上り列車の機関車が脱線し、タンク車2両が転覆、3両から漏洩したガソリンに引火して炎上した。現場は青梅街道の大ガードから100mほど池袋寄りで、300mに亘って火の海と化した。鎮火したのは3時20分頃で、完全復旧は発生から27時間後であった。

 被災したのは下り列車の2〜6両目であった。
位置 番号  被災状況       処置
2 タキ3125 梯子・手摺屈曲   修理
3 タキ3085 タンク穴開き・焼損 S4212廃車
4 タキ23119 同上・横転・焼損 同上
5 タキ3084 横転・焼損      同上
6 タキ3043 吐出管破損・焼損  S4211廃車

 廃車となった貨車は、タキ3084,85は米国陸軍輸送隊、タキ23119は日本陸運産業KK、そしてタキ3043は国鉄の所有車であった。

 ・・・と長くなったが、以上が今回の前振りである。従来、国鉄責任事故による私有貨車の被災では、金銭による賠償が通例であった。ところが今回の事故車のうちタキ3084,85については、国鉄所有のタンク車であるタキ3047と3049により現物賠償する、異例とも言える処置が取られた。

 タキ3047と49は、共に川崎が製作した国鉄タキ3000形の後半25両の一員で、昭和23年2月に落成した。外観・構造は一年前に同社が製作したタキ1500形に酷似し、台枠は枕梁間の側梁が省略され、台車は短軸を用いたTR20であった。

 配置は門鉄と新潟局だったが、昭和42年12月に車籍編入され私有貨車となり、米国陸軍輸送隊所有・浜安善駅常備となった。軍番号は廃車の「700011」と「700012」をそれぞれ継承した。2両共に0昭和61年7月に廃車となった。


【特別編233】020711作成、020713リンク追加、040718R4、050330R4A、070821R4A2、090527R4BY。

タキ3000形3047の写真

【写真1233の1】 タキ3000形3047 昭和52年4月18日 立川駅にて P:仁藤慎一

【仁藤さんから貴重な写真を提供して頂きました】

タキ3000形3047の写真

【写真1233の2】 タキ3000形3047 P:吉岡心平所蔵

タキ3000形3084の写真

【写真1233の3】 タキ3000形3084 P:吉岡心平所蔵

中央で横転しているタンク車がタキ3084。

タキ3000形3085の写真

【写真1233の4】 タキ3000形3085 P:吉岡心平所蔵

タンク帯金の切断は、タンク体の熱膨張が原因のようだ。