吉岡心平のマーク

タキ5400形5404

私有貨車

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タキ5350形
タキ5450形

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解説


タキ5406

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特別編162
特別編164

積荷
●構造

入口


 今回のリクエストは、細くて長いタンク体を持ったタキ5400形だ。メールには「その出生の秘密についてご教示いただければ幸いです」とある。

 タキ5400形は25トン積液化塩素専用車で、昭和32〜40年に15両が製作された。長期間の割に製作数が小ないなのは、当時は15トンが取引単位だったためである。

 さて、問題の「変り種」タキ5400形は、5403、04、11の3両で、いずれも日車本店が製作した。
 ・・と言う事は、メーカーの設計思想の相違に帰着することが出来そうだ。また結果的に「変り種」で終わったのは、何故だったのだろうか。

 ここでロットブックをご覧いただきたい。メーカー別の製作数は三菱8両、富士車4両、そして日車本店3両である。当時は標準設計の考え方など微塵もなかったから、各社は各様に設計した。

 三菱と富士車は、タキ5400形の車体長をタム2300形と合わせた。これは車体と荷役設備の間隔が異なると、荷役中に車両の移動が必要となり不便なためである。このため両社製のタキ5400形は異様にタンク体が太く、寸詰まりである。
 一方、日車本店はこれに拘泥せず、タム2300形をそのまま大きくした設計とした。意外に無頓着だったように思えるが、同社が液化塩素タンク車では後発で、写真のタキ5403・04はまだ第二作目だったことも、関係があるのかもしれない。
 さて、どちらの設計がその後の標準となったかは、タキ5450形を見れば一目瞭然だろう。

 タキ5403と04は、昭和32年6月日車本店で製作された。所有者は東亞合成化学工業KK・常備駅は名電築港であった。昭和41年1月、常備駅名は昭和町に変更されている。名古屋地区を基地として各地に運用されていたが、昭和54年3月に廃車となった。


タキ5400形5404の写真

【写真1163】 タキ5400形5404 P:吉岡心平所蔵


【特別編163】020206作成、020914リンク変更、040121R4、040731リンク追加、050319R4A、060808リンク
追加、070901R4A2、080905R4BY、130910R4C。