吉岡心平のマーク

ホキ7300形7302

私有貨車

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ホキ7200形
ホキ7500形

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特別編85
特別編87

積荷
構造

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 ホキ7300形のリクエストを頂戴した。メールには「形式図によると三岐鉄道ホキ4000からの改造となっていますが、三岐の図面と見比べても構造上どの様に変わったか見つけることは出来ませんでした。三岐鉄道籍が国鉄籍に変わっただけなのでしょうか。私鉄買収時ならともかく、高度経済成長時代にわざわざ30トン積車を5両だけ改造(編入?)したことに疑問をもちます。」とある。

 ホキ7300形は30トン積セメント専用車で、昭和46年1月に三岐鉄道ホキ4000形を車籍編入したものである。それでは質問に順番に答えることにしよう。

■なぜ30トン車を車籍編入したのか?

 もともと私鉄貨車として誕生したのは、私有貨車は私鉄の線内輸送(東藤原−富田)に使用することが出来ないためである。なお国鉄線の八田にも運用するため、国鉄線への連絡直通認可を受け、番号の下に白線2条が標記されていた。

 その後、40トン車の増備で余剰化した小型車は、小規模工場へ移された。三岐鉄道所有の30トン車も、ホキ4000形5両・ホキ5000形3両・ホキ6000形7両の計15両が、昭和46年1月に三河田原に異動することになったが、三岐鉄道の貨車を他線に常備する訳にいかず、このため私有貨車として国鉄車籍に編入したのである。

 なお、ホキ5000形と6000形は国鉄ホキ3500形に構造が類似していたため、同形式に編入され、ホキ3500形3759〜68(すべて二代)となった。

■車籍編入で変わった点はどこ?

 ホキ4000形は4001〜05の5両が昭和32年東洋工機で製作された。我国のエアスライドホッパ車としては初期のグループで、ホキ3000形から受け継いだ丸屋根箱型車体が特徴である。

 昭和46年1月の車籍編入では、目立った改造は受けていない・・・ と書きたいところだが、思いがけない点が改造されていた。写真86の2に三岐鉄道時代の写真を示したので、写真86−1と見比べて欲しい。そう、手ブレーキの位置が反対になっている!!
 実は三岐ホキ3000・4000形は、通常の貨車と手ブレーキハンドルの位置が反対になっていたのである。

 車籍編入時の所有者は小野田セメントKK・常備駅は三河田原だったが、皮肉なことに昭和48年7月に古巣の東藤原に出戻り、昭和51年4月には積込口の大型化(所謂デカハッチ化)を受けた。昭和60年5月に清水工業KK・猿岩常備に異動したが、写真のホキ7302を含む4両は、僅か2ケ月後の昭和60年7月に廃車となっている。


 

ホキ7300形7302の写真

【写真1086の1】 ホキ7300形7302 昭和59年8月1日 伊勢治田駅にて P:吉岡心平

三岐鉄道ホキ4000形4002の写真

【写真1086の2】 三岐鉄道ホキ4000形4002 昭和44年8月10日 富田駅にて P:成瀬公一

上の写真とブレーキ装置の向きが反対になっている。後ろは三岐ホキ3000形

【成瀬さんから貴重な写真を提供して頂きました】

三岐鉄道ホキ3000形3004の写真

【写真1086の3】 三岐鉄道ホキ3000形3004 平成2年1月 昼飯駅にて P:吉岡心平


【特別編86】010802作成、040717R4、050501R4A、070622R4A2、130507R4C。