吉岡心平のマーク

タム22000形22002

私有貨車


 今回は大きく時代を遡り、戦災復旧車がマルロタンク車となった例を取上げる。調査に時間が掛かり掲載が遅れたことをお詫びしたい。

 タム22002は昭和23年にタ1000形1030として誕生した。戦災国鉄貨車の台枠と戦災タンク車のタンク体を組合せたもので、改造メーカー・専用種別等は不詳だが、どうも12トン積クレオソート専用車だったらしい。
 台枠は資料によればワム23000形28019のもので、写真による判定もこれを支持している。一方タ600のものとされるタンク体はリベットが夥しく、鏡板は扁平で梯子のような補強枠があり、さらに補強枠同志が鉄棒によって結合されている等、まことに奇妙な構造である。私有貨車セミナーのマルロ特集では据置タンク体の転用か等と、チンケなことを書いたのだが、その後の調査でとんでもない事が判った。

 わが国で初めて石油タンク車を使用したライジングサン石油(現在の昭和シェル石油の前身)は、創始期のタンク車をイギリスやオランダから輸入した

が、このタンク体はオランダ製タンク体のなれの果てだったのである。
 車歴を辿れば、明治38年ファーブル社でライジングサン石油58〜82の25両として製作された10トン積タンク車は、明治44年の改番でア1981形1981〜2005となった。ア1988は関東大震災で被災廃車となったため、残る24両が昭和3年の改番でタ600形694〜717の24両となった。戦争中の推移は敵産管理法により接収されたため不詳だが、昭和23年4月時点では694−96、99、702、17の6両が姿を消していたので、このうちどれかのタンク体がタム2002に使用されたのであろう。

 落成時の所有者は日本陸運産業KKで、昭和24年にはクレオソート専用のまま日本甜菜製糖KKに譲渡された。その後昭和32年12月に15トン積糖蜜専用車に改造され、タム2000形2002となった。その後ヨンサントウではスピードアップ不適格車とされ、形式・番号はタム22000形22002に改番されたが、相変わらず北海道内で糖蜜輸送に使用されていたようである。昭和51年6月に廃車となった。


●同一形式    タム2000形2000(特別編11)  新製車で昭和25年日本鋼管製、一寸スタイルが変。

           タム2000形2001(特別編430) 新製車で昭和26年造機製。

●同一専用種別 タキ10900形10900(特別編20) 昭和43年川崎製の35トン車。


【特別編27】010220作成、031022リンク追加、040501R4、050410R4A、071012R4A2。

タム22000形22002の写真

【写真1027】 タム22000形22002 日時場所不明 P:堀井純一

【堀井さんから貴重な写真を提供して頂きました】