吉岡心平のマーク

タム100二代形139

私有貨車

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▲タム100初代形
タム200形

 番号
[ロット表]

タム115
タム175

 ページ
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第195週
第197週

積荷
●構造

入口


 タム100二代形濃硝酸専用車については、既にいくつかの例を紹介したが、今回は最多両数を誇った日立製の戦時型を紹介しよう。

 タム139は昭和18年6月日立製で、資材欠乏の折にも拘らず増備出来たのは、爆薬増産のため濃硝酸タンク車は計画生産が行われたためだ。日産化学にはタム128〜155が割当てられたが、製造は番号順ではなかった。理由は不明だが、どうも他メーカー/ユーザーへ割当の解消による欠番を生めた為ではないかと思われる。

 タンク体は純アルミニウム製で、板厚は胴板13mm・鏡板16mmと厚く、組立はガス溶接によったようだ。全体の設計は大阪鉄工所製をモチーフとしているが、当時の資本関係を考慮すれば当然の事だろう。寸法は直径1,410mm・長さ6,91

8mmと妙に端数が付いている。
 唯一目だった変更点としては、大阪製では幅広だったタンク受台を、普通サイズを近接して2個並べたものとした点があるが、その理由は判らない。無骨なタンク手摺は登場時には無く、後に追加されたものである。
 台枠は平形で、7,600mmと軸距3,800mmの倍である。走り装置は1段リンクだったが、ヨンサントウに際して2段リンクに改造された。

 落成時の所有者は産業設備営団で、一月前に日産化学が日本鉱業と合併したため、後者に貸付けられた。常備駅は速星であった。昭和24年3に晴れて日産化学の所有となった。他社がタンク体更新を進める中で、同社所有車は原型を留めたまま使用され、晩年は老骨に鞭打って働いていたが、昭和54年10月に廃車となった。


タム100二代形139の写真

【写真196】 タム100二代形139 昭和50年4月26日 越中島駅にて P:吉岡心平

受台からドームにかけて、タンク体が撓んでいるのが判るだろうか?

この写真は吉岡写真CD−ROM第34巻に「P01998」として収録されています。


【第196週】040530作成R4、050414R4A、070802R4A2、080904R4BY、130630R4C。