吉岡心平のマーク

タサ1形173

私有貨車

 形式
索引

タラ700形
▼タサ400形

 番号
[ロット表]

タサ14

 ページ
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特別編644
特別編646

積荷
●構造

入口


 3軸車はRMライブラリシリーズで詳説したので、ウエブではどうも影が薄い。

 タサ173はア27320M44形の27343として、昭和2年9月日車本店で製作され、昭和3年の大改番でタサ1形173となった車両である。

 後にタサ1形に纏められた諸形式の中では、最も新しい形式で、タサ500形に移行する直前の作品と言える。タンク体は普通鋼を多数の鋲で組立てたもので、寸法は直径2,057mm(6ft9in)、長さ7,823mm(25ft8in)であった。タンク踏板への登り口は相変わらず鏡板側だが、これまでの手摺に代えて、最初からタンク梯子が設置されていた。
 台枠はタサ1形特有のタンク体を側梁間に落としこんだ中梁省略台枠だが、タサ1形で初めて長軸を採用したため、台枠幅はこれまでの1,664

mm(5ft51/2in)から2,019mm(6ft71/2in)へ約350mm広くなった。軸距2,743mm(9ft)×2は従来と同様で、車軸は10トン長軸である。落成時から自連を装備していたため、バッファーの装備跡はない。当初は空気ブレーキはなく、昭和12年頃日車で追加したが、同時に側ブレーキテコも反対側に移設されている。

 落成時の所有者はライジングサン石油KK・常備駅は野田であった。昭和3年1月に鷹取に移動し、改番後は鷹取・白鳥・野内を転々とした。昭和17年5月に石油共販KKに移籍し、船川港駅常備となった。戦後は石油配給KK所有から昭和24年3月にシェル石油KKに返還された。戦後は浜安善に常備され、一時期はガソリン専用として使用されたが、昭和35年8月塩浜駅に移動し、ヨンサントウを控えた昭和43年7月に廃車となった。


タサ1形173の写真

【写真1645】 タサ1形173 昭和42年8月24日 四日市駅にて P:坂内定比古

揮発油専用となったタサ1形の写真は貴重である。

【坂内さんから貴重な写真を提供して頂きました】


【特別編645】060125作成R4A、070922R4A2、081003R4BY、130831R4C。