吉岡心平のマーク

タ1300形1316

私有貨車

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タ1200形
タ1370形

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[ロット表]


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特別編456
特別編458

積荷
●構造

入口


 我国化成品タンク車の第一号は濃硫酸専用車だが、今回はその兄弟分を紹介する。

 タ1300形は昭和3年の大改番で、10トン積の濃硫酸専用車をまとめた形式だ。全部で18両あり、改番前の形式は最初の10両がア2480M44、次の2両はア2490M44形、次いでア2492、2493M44形が各1両、そしてア2494M44形4両の順であった。

 タ1316は大正7年3月新潟でリ2494M44形2496として誕生した。リ2495〜97の3両ロットの一員である。記号「リ」は硫酸槽車のことで、当時は積荷毎に車種記号を変える計画だったようだが、昭和元年に早くもあきらめて、「タンク車○○専用」と車種はタンク車ひとつに纏め、専用種別の表示により区別する方式に変更したのは、大変賢明なことであった。本車もこの制度改正に伴い、昭和元年12月にア2494M44形2496に改番された。

 落成時のタンク体は鋲接組立で、直径1,257mm・長さ4,642mmと極めて小さい。タンク体と台枠との固定は、鏡板を鳥居状の木材で押える「横木方式」であった。
 鋼製の台枠は軸距2,743mm(9フィート)と小型で、バッファーによる衝撃を緩和するため、中梁よりも側梁強度を重視した設計となっていた。

 ところが台枠は、大正14年の自動連結器の取付で、中梁を大幅に強化したものに大改造された。更に昭和10年の貨物列車スピードアップでは、軸距3m未満の貨車が使用禁止となったため、本車も台枠を切継ぎ軸距3mに延長した。以上2度の改造で台枠は殆ど新品同様となった。
 そしてタンク体も、戦後のいつしか全溶接構造の新品に交換された。
 従って写真にある晩年の姿で、落成時の痕跡を留めるのは台枠の一部部材だけで、実態は別の車両と考えたほうが良いようだ。ブレーキ装置は「+」マークで判るように貫通管を装備しただけで、シリンダは設置されていない。このため基礎ブレーキは、片押し式のままである。

 落成時の所有者は大日本人造肥料KK・常備駅は須賀であった。昭和9年9月には販売カルテル設立に伴い、常備駅はそのままで東部硫酸販売KK所有となり、昭和12年5月に新潟臨港駅へ移動した。昭和18年1月、カルテル解消で日東硫曹KK所有・焼島駅常備となった。ところが同年7月には戦時統制で同駅常備のまま日本硫酸配給統制KKとなり、社名は昭和19年5月に日本硫硝酸統制KK、昭和21年末頃に日本硫硝酸KKと変遷した。昭和23年8月には統制解除で日東硫曹KKに戻り、新潟港駅常備となった。昭和29年10月に平井駅常備となった。写真はこの時代のもので、昭和36年10月に廃車となった。


【特別編457】040117作成R4、050408R4A、070904R4A2、090316R4BY。

タ1300形1316の写真

【写真1457】 タ1300形1316 平井駅にて P:鈴木靖人/堀井純一所蔵

【堀井さんから故鈴木さんが撮影された、貴重な写真を提供して頂きました】