吉岡心平のマーク

シキ120形120B

私有貨車

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シキ115形
シキ130形

 番号
[ロット表]

シキ120A

 ページ
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特別編211
特別編213

積荷
●構造

入口


 今回ののリクエストはシキ120形だ。

 大物車の歴史は、車両限界との戦いである。その究極の解が「シュナ−ベル式」と呼ばれる貨車で、積荷自体を車体の一部と位置付け、前後に嘴のような荷受梁を結合し、これを貨車として輸送する方式であった。ちなみにシュナ−ベルとはドイツ語の「嘴」のことだ。車両限界を一杯に使用することが出来る反面、積荷は車体としての強度が要求されるため、変圧器や発電機のステ−タ・耐圧容器など特定のものに限られる欠点があった。ドイツでは戦前から実現していたが、我国での登場は戦後となり、巷間では今回紹介するシキ120形が第一号と言われている。ところが当時、国鉄シキの下回りを用いたシュナ−ベル梁を他社が製作しており、私有貨車として車籍編入しなくても、その場限りの輸送用として用いたこともあったようなので、真実どの形式が我国初だったかは、未だに今後の研究課題として残されている。

 閑話休題、シキ120は昭和27年10月三菱で

80トン積の弓形梁式大物車として製作された。国鉄所有のシキ100形に良く似ていたが一回り大型で、我国で初めて3−3軸複式ボギーを採用し、当時は日本最大の大物車誕生として話題となった。所有者は三菱電機、常備駅は塚口であった。

 昭和31年には、シュナ−ベル輸送用の110トン積吊り掛け式荷受梁が新製・追加された。当時は梁種類による分類はなく、両者は共にシキ120形と呼ばれていた。当初この梁は、発電機のステ−タ輸送専用として製作されたようである。

 昭和34年2月、更に115トン積落し込み式荷受梁が追加された際、初めて荷受梁ごとに形式・番号の末尾に記号ABCを附すことになり、弓形梁式は「A」、吊り掛け式は「B」、落し込み式は「C」とされた。その後、昭和36年から37年にかけて、数次の小こ改造を受けている。昭和49年に同クラスのシキ670形が新製されてからは、使用頻度は少なかったようである。昭和61年11月にABCの梁全てが廃車となった。


【特別編212】020530作成、040428R4、040818リンク追加、050420R4A、090408R4BY。

シキ120形120Bの写真

【写真1212】 シキ120形120B P:吉岡心平所蔵