吉岡心平のマーク

タ550形551

私有貨車

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▲タ520形
タ580形

 番号
ロット表


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特別編973
特別編975

積荷
●構造

入口


 タ550形は10トン積液化アンモニア専用タンク車で、昭和8〜11年に5両が川崎・大阪鉄工で製作された。

 タ550は551と共に昭和8年3月川崎製で、我国初の私有高圧ガスタンク車であった。

 高圧ガスの定義は時代により異なるが、一般論として述べれば、輸送時にタンク体に内圧がかかる積荷と言って良いだろう。このためタンク体は通常のタンク車と異なり圧力容器とする必要があるが、鉄道の場合、蒸気機関車につきもののボイラーが圧力容器なので、全く異質な技術ではなかったようだ。
 高圧ガスと言っても、輸送圧力は様々である。圧縮しただけなら圧力は任意に選べるため、我国初のガス輸送用タンク車である、客車照明のガス灯用ガスである「ピンチガス」(石油分解ガス)を輸送する事業用貨車もこの類であった。ただし輸送効率は極めて悪く、荷重は設定されていなかった。
 一方商業ベースでは、液化輸送することが必須であり、輸送圧力は積荷の物性により支配されるため、実用化は遅れた。また当時の化学工業の規模ではこの種化成品の輸送はボンベ輸送で間に合っていたこともある。

 そんな訳で、本邦初となる高圧ガスタンク車は、当時としては技術・規模が共に進んでいた海軍火薬廠が、火薬原料となるアンモニア輸送用に製作したものである。
 メーカーは川崎だが、戦前の同社はタンク車製作には冷淡で、タキ2500形初代などを除けば軍関係の車両か国鉄向けの製作に限られる。
 本車は電気溶接のタンク体を採用した点でも画期的で、流石に溶接技術では最高峰の川崎製と思わせる。いっぽう同年に進水した潜水母艦大鯨の事例を見ても、当時の溶接技術は稚拙であり、さまざまな困難があったものと予想される。
 また初めての高圧ガスタンク車のため、荷役装置の配置も試行状態で、液温を示す温度計はなぜか妻寄りに設置されていた。

 落成時の所有者は海軍火薬廠・常備駅は平塚であった。社名は昭和15年6月に海軍火薬支廠、昭和17年10月第二海軍火薬廠となったが、敗戦により一旦除籍された。恐らく賠償物資として大蔵省が保管していたものと思われる。その後民間への払い下げを経て、タ551は昭和26年3月に再度車籍編入され、日産化学工業KK所有・速星駅常備となったが、昭和36年10月に廃車となった。


タ550形のロット表

ロット 番号 製造年 製造所 落成時の所有者
550,551 S0803 川崎 海軍火薬廠
552,553 S1010 大阪 旭ベンベルグ絹糸KK
554 S1107 大阪 海軍火薬廠

タ550形551の写真

【写真1974】 タ550形551 P:吉岡心平所蔵


【特別編974】090106作成R4B、090702ロット表R3追加。