吉岡心平のマーク

シキ150形152

私有貨車

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シキ140形
▼シキ160形

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特別編481
特別編483

積荷
●構造

入口


 今回は戦争の申し子として誕生した大物車を取り上げよう。

 シキ150形は60トン積2−2軸複式の落し込み式大物車で、昭和16年8月日車で3両製作された。当時、大型の落し込み式大物車は国鉄のシキ60形用の交換梁が一基あるたけで、独立した車両として作られたのは本形式が初めてである。

 当時、我国は戦略物資たる石油の不足を補うため、石炭液化による合成石油の製造が計画されていた。このため産炭地を中心として、石油合成プラントの建設が進められたが、北海道炭を利用する工場として計画されたのが、滝川に位置する北海道人造石油KKであった。
 石炭液化プロジェクトでは、化学装置の生産効率を上げるため、機器ごとに特定会社で集中生産した。同社のプラントに用いる低圧反応器は三井造船玉野が担当したため、大量の反応器を宇野から滝川まで輸送することになり、製作されたのが本形式である。なお企画段階では3軸ボギー台車を用いた50トン車も設計されたが、結局2−2軸複式の60トン車として実現した。

 車体は荷受梁と2組のまくら枠からなり、いずれも全鋼製の鋲接組立であった。荷受梁の形状は反応釜の輸送に最適化された形状として設計されていた。
 下廻りは2組のまくら枠から成り、台車はTR20であった。

 落成時の所有者は北海道人造石油KK・常備駅は滝川であった。敗戦により人造石油業界は賠償指定となったため、所有者は昭和24年3月に日本人造石油KK、同年9月に滝川化学工業KKと転々とした。その後、情勢の変化で昭和27年6月に運輸機材KKに払い下げられたが、同社は本形式3両をタキ300形6両に化かす(!)計画であった。シキ151は予定通り、昭和27年5月にタキ1305,06に改造されたが、他の2両の改造は中止され、昭和29年1月の造機車両への社名変更を経て、昭和32年国鉄に大物車として買い上げられた。
 数奇な一生を辿った本形式だが、晩年は国鉄所有の汎用大物車として活用され、昭和47年度に廃車となった。後継形式が誕生しなかった点から見ると、人気形式とは言えなかったようである。


【特別編482】040409作成R4、040414誤記訂正、050427R4A、090414R4BY。

シキ150形152の写真

【写真1482】 シキ150形152 昭和43年5月2日 新鶴見操駅にて P:堀井純一

【堀井さんから貴重な写真を提供して頂きました】