吉岡心平のマーク

タ1600形1600

私有貨車

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▲タ1550形
タ1650形

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ロット表


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特別編111
特別編113

積荷
●構造

入口


 今回は、ぐっと古い形式を取上げる。
 我国の化成品タンク車で、濃硫酸・希硫酸に続く三番目の積荷は、なんと二硫化炭素である。重工業が未熟だった当時、薬品を大量消費する業種は、レーヨン工業程度だったのが原因だ。二硫化炭素専用車の第一号は昭和2年製の12トン車ア2515M44形(昭和3年以降のタ1500形)で、12トンと半端な荷重は限界設計の産物だったようだが、当然10トン車を希望するユーザーもあった。劃して登場したのが今回紹介するタ1600形である。

 タ1600は昭和4年12月新潟で製作された。我国の「キセ付」タンク車は、二硫化炭素専用車がその嚆矢だが、このうち本車はタ1500、01に次ぐ3両目に当る。

 さて、本車の見所はタンク固定方法にある。当時は、タンク体の前後動を鏡板に設けた鳥居状の木製枠で規制する横木方式(イギリス式)が主流であった。ところが本車はタンク周囲にキセを設けたため、従来の横木が設置できなくなった。このため窮余の一策として、鏡板の下端部に横木を設

け、その周囲を鋼製の枠で囲んで応力を受ける構造とした。
 このような構造は他にタ1501などに見られる程度で、センタアンカ方式が普及するまでの過渡的な構造として、貴重なものである。なお車体中央横一線に薄く見えるのは危険品積タンク車を示す幅100mmの赤線で、車体の四隅にある白線は、空気ブレーキ装置を装備していることの印である。

 落成時の所有者は福井二硫化炭素会社で、所有者は昭和11年2月に北陸化学工業KK、昭和13年6月に帝国硫黄工業KKと変遷したが、常備駅は一貫して森田であった。その後昭和27年3月、東京セロファン紙KKに売却され喜多方駅常備となったが、昭和33年月には再び東洋硫黄工業KKに異動し、五分市駅常備となった。昭和35年3月、同社は東洋化成工業KKと改称し、昭和37年4月から昭和41年9月の間の常備駅は草薙であった。このように流転の生涯を送った本車だったが、軸距が3mと短かいためヨンサントウでは不適格車とされ、昭和43年9月30日付で除籍されその一生を終えている。


【特別編112】011012作成、040229R4、050412R4A、070910R4A2、080202ロット表R3追加、090401R4BY。


タ1600形のロット表

ロット 番号 製造年 製造所 旧形式 旧番号 落成時の所有者
1600 S0412 新潟 新潟 福井ニ硫化炭素会社
1601,1602 S0606▲ 不明 タム300 320,321 旭絹織KK
1603 S0702 汽車 新潟 昭和硫炭製造所
1604 S3105▲ 造機 タム400 1432 日東紡績KK

タ1600形1600の写真 

【写真1112】 タ1600形1600 吉岡心平所蔵