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タキ1500形1505

私有貨車


 タキ1500形の素性を問えば、10人中10人が「タキ3000形の石油類版」と答えるに違いない。ところが真相は逆で、タキ1500形の方が元祖なのだから世の中は面白いものだ。

 第二次大戦末期、国産原油の活用と南方還送原油の製油所への輸送を意図して、原油輸送用タンク車の増備が計画された。25トン積のタキ1000形に続き、昭和18年に計画されたのが本形式である。当時の35トン車は極限設計車で、今日のタキ43000形・タキ1000JRF形に相当する存在であった。敗戦により実現が危ぶまれたが、昭和22年に準備資材を活用してタキ1500〜09の10両が製作されている。

 なお昭和22年製の関連形式間の落成順は、最初に本形式、特別編89で紹介した戦後製タキ50

形、そして国鉄所有のタキ3000形の順となっている。

 タキ1505は昭和22年6月川崎製で、簡素な作りに戦時設計車の面影を残している、台枠の枕梁間が省略されたり、台車が短軸のTR20である点も戦中製のプラクティスだ。タンク手摺や加熱管装置は、後天的改造により追加されたものである。

 落成時の所有者は日本原油輸送KKで、落成直後は連合軍貸渡車として使用された。その後、所有者は社名変更で昭和23年3月に日本石油運送KK、昭和32年6月に日本石油輸送KKとなり、常備駅も昭和27年9月に羽後牛島、昭和43年6月に新屋と秋田の油田地帯に常備されていた。昭和53年5月に船川港に異動したが、昭和56年2月に廃車となった。


ガソリン・石油類専用車のガイド(タキ編)


【特別編93】010819作成、020713リンク追加、040228R4、050414R4A、070715R4A2。

タキ1500形1505の写真

【写真1093】 タキ1500形1505 昭和55年11月3日 塩釜埠頭駅にて P:吉岡心平