吉岡心平のマーク

タ500形500

私有貨車

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▲タ400形
▼タ520形

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[ロット表]


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特別編499
特別編501

積荷
●構造

入口


 今回は特別編500回達成記念として、タ500形を取り上げる。

 タ500形は10トン積石油類専用車で、大正14年新潟で10両が改造により誕生した。写真の通り小型の3軸車で、改造当時はア1530M44形と称しており、昭和3年の改番でタ500形となった。

 本形式の変わった点は、7トン積の2軸タンク車15両を切り継いで10トン積3軸車10両に化かした点にある。このような改造は手間が掛かる割に効果の少ない様に思えるのだが・・・ また形式は、2軸車から3軸車に変っても、旧来の「ア1530」のままとされた。従って同形式は時期により2軸と3軸とが存在したことになる。

 誕生時は中野鉱業部ナ8〜22として明治41年新潟で15両が製作された。時代はそろそろ10トン車が主流となる時期で、7トン車では最後期の車両である。明治44年の改番でア1530M44形1530〜44となった。改造ではオハ61形鋼体化のように、解体した車両のパーツを使って車体を延長したようだが、詳細は不明な点が多い。
 写真は造機車両で更新修繕を受けた際のもので、タンク固定は従来の横木方式からセンタアンカ方式に改造されたため、タンク受台・帯金は造

機で新製したものである。タンク踏板や梯子、運転関係標記板も新設された。更に本車ではドームを新製品と交換しているが、改造内容は改造メーカーと種車の程度で一両ごとに異なっていた。

 落成時の所有者は中野鉱業部(契約種別甲)で、明治45年2月から大正3年9月の間は小倉常吉に貸渡されていた。大正4年12月に所有者は中野興業KKとなり、大正7年3月に新津駅授受となった。2ケ月後には契約種別乙となり、常備駅はそのまま新津となった。大正14年2月に同番号の3軸車に改造するため、一旦除籍となった。
 3軸車になってからは、昭和2年11月に関屋駅常備となった。昭和3年の改番後は昭和4年6月新津、昭和5年2月羽後平沢、同年5月西仲通及び関屋と変遷し昭和9年10月には羽後平沢に戻った。開戦後の昭和18年4月には帝国石油KKへの一元化により同社所有・羽後平沢駅常備となり、昭和20年1月社名は共同企業KKとなった。戦後の昭和21年4月には日本原油輸送KK・小名木川駅常備となり、同年6月には羽後平沢駅に戻ったが、同年10月には道川駅常備となった。その後同駅常備のまま社名は日本石油運送KK・日本石油輸送KKと移ろい、同形式としてはタ503と共に最後まで残ったが、昭和36年10月に廃車となった。


【特別編500】040626作成R4、050413R4A、070714R4A2、090113R4BY。

タ500形500の写真

【写真1500】 タ500形500 P:吉岡心平所蔵