吉岡心平のマーク

タラ400形402

私有貨車


 田村さんからのリクエストであるタラ402を解説しよう。

 17トン積は無蓋車では常識だが、タンク車の場合は珍しい。高比重の化成品であれば、十分実現可能な領域だが、ボギー車への進化が早かったため、出番がなかったようである。このためタラは10形式100両あったが、2軸車は僅か4両しかなく、ヨンサントウを生き延びたのは、今回取上げたタラ402が唯一であった。

 タラ400形は17トン積カセイソーダ液専用車で、3両在籍したが、実態は2両である。なぜならタラ402は元々タラ401だったからだ。
 太平洋戦争による人絹工業の軍需転換で、二硫化炭素タンク車はその職を失った。タム200形は様々な積荷に転用されたが、そのひとつがタラ400形で、昭和19年10月にタム201と239がタラ400と401になった。
 問題のタラ401は日本軽金属KK所有・三保駅

常備であった。ところが敗戦で失職し、昭和21年11月にタム3100形苦汁専用車の3100となった。類似例としてタ3000初代形を特別編189で紹介したので、参照頂きたい。その後これをカセイソーダ液専用に復活させたのが、ここで紹介するタラ402である。
 昭和38年2月の改造だが、実態は専用種別変更だったようだ。タム200形時代の熱絶縁は撤去されているが、どの時点でかはまだ判っていない。ドームが一端に寄っているのは当時製作されたタム200形の特徴で、種車時代の姿は第42週に掲載したタム220を見て頂きたい。
 台枠以下は種車のままだが、ヨンサントウでは、タラで唯一2段リンク化改造を受けた。

 所有者は日軽化工KK・常備駅は岩淵だったが、駅名は昭和45年6月の改称で富士川となった。最後まで残ったタラとして、タキ417や裸タンクのタキ2600形などと、珍ドコ編成を作って働いていたが、昭和50年3月に廃車となった。


●関連形式 タム3100形(暫定編12) 改造前の種車形式で14トン積苦汁専用車。
カセイソーダ液専用車のガイド


【特別編389】030606作成、040527R4、050409R4A、070921R4A2、081121リンク追加。

タラ400形402の写真

【写真1389】 タラ400形402 昭和49年 富士川駅にて P:吉岡心平