吉岡心平のマーク

タキ22700形22702

私有貨車

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タキ21800形
タキ22800形

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特別編11
特別編13

積荷
●構造

入口


 今回は京都の成瀬さんから戴いたタキ22700形に関する質問にお答えする。その質問とは、タキ7750形が量産されていた時代に、なぜ新形式のカセイソーダ専用車を作ったのか、なぜ1ロット10両だけの製作に留まったのか、の2点である。

 タキ22700形は昭和46年12月から47年2月にかけて10両が川崎で製作された。タキ7750形との相違点は、設計比重が1.3とタキ7750形の1.45〜1.48より約1割低く、このためタンク容積が1割程度大きいこと、タンク内面のゴムライニングがなく鉄肌のままであることにある。これらの変更の背景は、一体何だったのだろうか?
 いろいろ調査した結果、タキ22700形はアミノ酢酸ナトリウム水溶液を輸送するために製作されたことが判った。鉄肌で大きめのタンク体はこの積荷に合わせたためで、10両しか製作されなかったのも、特定用途の専用車とすれば頷ける。

 タンク材質は耐候性高張力鋼で、ドームレスのタンク体は直径は1,950mm・長さは9,550mmであった。周囲には厚さグラスウール60mmと薄鋼板製のキセがあった。
 台枠は平台枠で、長さ10,300mm・BC間距離7,000mm、ブレーキ装置はKSD積空+両側、台車はTR41Cであった。

 所有者は日本石油輸送KK・常備駅は郡山だったが、実際には水島臨海の東水島駅(三菱化学)から福島臨海の宮下駅(日本化成)へのアミノ酢酸ナトリウム水溶液の運用に就いていたようである。写真は輸送途中をキャッチしたもので、いつも2両ペアで運用されていた(奥は僚車のタキ22707)。失職してからは郡山ヤードで長期留置となり、昭和60年頃には濃硫酸タンク車への改造も取り沙汰されたが結局実現せず、昭和63年6月に10両すべてが廃車となった、合掌。


タキ22700形22702の写真

【写真1012】 タキ22700形22702 昭和56年6月6日 泉駅にて P:吉岡心平


【特別編12】010118作成、020803リンク追加、021022本文修正、040203R4、070605R4A2、090210R4BY、100406R4B。