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タサ2100形2100

私有貨車


 戦前の日本鉱業がボギータンク車からなる大艦隊を保有していたことは既に何回も述べたが、今回はその中で唯一の希硫酸タンク車であるタサ2100形を紹介しよう。

 タサ2100は20トン積の希硫酸専用車として昭和14年3月新潟で製作され、一形式一両であった。既に紹介したタキ300形・タサ2500形とは兄弟形式で、中でもタサ2500形とは、タンク体こそ積荷比重の関係でやや太いものの主要寸法は同一である。

 設計比重は1.55・タンク容積は13.2mであった。普通鋼製のタンク体は内面を厚さ3mmの鉛でライニングされ、寸法は直径1,639mm・長

さ6,546mmであった。鉛ライニング車には「連結注意」の標記がある筈だが、写真では見当たらない。タンク帯金がタサ2500・タキ300形と異なり1本しかないのは何故だろうか。
 台枠は戦前の新潟製ボギー車に良く見られる側梁省略形で、長さは7,800mm・BC間距離4,700mmと短い。台車はTR20から第一次台車改造でTR41Dに換装された。

 所有者は日本鉱業KK・常備駅は日立であった。戦時統制で所有者は昭和18年11月日本硫酸配給統制KK、昭和19年5月日本硫硝酸統制KK、昭和22年頃日本硫硝酸KKとなったが、昭和23年10月日本鉱業KKに復帰した。昭和49年10月に廃車となった。


希硫酸専用車のガイド


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タサ2100形2100の写真

【写真73】 タサ2100形2100 昭和49年3月25日 越中島駅にて P:吉岡心平