貨車銘板研究室−025 田中車輌 → 近畿車輛 昭和39年 近畿車輛 (タキ3000形33112) |
2002/9/21 作成 |
■社名・工場の変遷
■ 昭和39年 近畿車輛 写真132 現在でも盛業中の近畿車輛の歴史は大正9年まで遡る。尼崎で鉄工所を経営していた田中太介が付加価値の高い事業を目指し鉄道車輌製造を志したことが始まりで,名称を「田中車輌工場」とした。大正10年には鉄道省から貨車製造工場に指定された。田中車輌で製作した私有貨車は,自社の電車車体を輸送するための大物車ホシウ70形83,84(→シ10形10,11)が唯一であった。所有者は勿論,田中車輌である。 昭和10年には合名会社「田中車輌」合名会社に,昭和14年には株式会社に発展していった。この時,主力工場を現在の近畿車輛のある片町線徳庵駅近くに新工場が完成し,尼崎工場が廃止され,京橋分工場の2工場制となった。昭和12年から16年の鉄道車輌黄金時代には電車を中心に多くの名車を世に送り出してきた。太平洋戦争が始まると,陸海軍の軍需工場に指定され,京橋分工場は造船工場となった。徳庵工場は鉄道省管理工場として鉄道車輌製造が守られてきた。 敗戦後は,会社の再生を図るべく昭和20年10月,田中車輌の全株式を近畿日本鉄道(株)に譲渡し,11月19日に近畿車輛(株)が誕生した。 近畿車輛の銘板は,社名+製造年のさっぱりしたもので,社名4文字が大きく分かりやすい。この銘板の主は,タキ3000形33112である。国鉄貨車を含めると1606輌も製造されたタキ3000形であるが,近畿車輌製は珍しく,本車とラストナンバーである33113の2輌のみであった。車籍編入は昭和39年10月31日で,丸善海運所有,加茂郷駅常備であった。 BC間距離10,200mm,台枠長さ13,500mm,タンク内径2,050mm,タンク長さ12,800mm,実容積41.1m3と,寸法的にはタキ3000形の標準そのものであった。外観的にも,近畿車輛独自の特徴は見あたらず,当時の標準的なタキ3000形に仕上がっていた。 昭和41年,丸善海運は丸善石油へ社名変更された。昭和57年に日本石油輸送へ移り,常備駅も四日市となった。晩年は汐見町から運用されていたが平成6年に廃車された。
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