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タム200形229

 

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2002/2/25 作成


写真7 タム200形229

平成5年10月23日新南陽

 タム229は昭和30年新潟鉄工所製で,番号は若いが戦後の生まれである。タム228は昭和10年製,タム233が昭和11年製であることを考えれば,異端児である。また,この異端児こそ,最後まで残ったタム200形であった。

 タム200形は昭和7〜37年までに109輌が製造された。15トン積二硫化炭素専用の標準車で,積荷はレーヨンやセロハンの製造に欠かせない化学薬品である。戦前は昭和15年までに200〜228,233〜275が新製された。229〜232は当時欠番で,理由は不明である。戦後製は276以降として増備され,昭和30年末には299まで番号が埋ってしまった。その後の増備車の番号は,300〜はタム300形があるため使えず,1200〜はタム100形で既に埋まってしまったため使えなかった。空いている番号は2200〜であった。

 そこで,本車の登場である。昭和30年9月,大日本紡績は1輌の15トン積二硫化炭素専用タンク車の製造を国鉄に申請した。国鉄では,この申請により番号を決定するのであるが,国鉄の担当者は2200とせずに,当時欠番であった229〜232を埋めるため,229としてしまった。このため,昭和10,11年製であるタム228,タム233の間に突如,親と子ほど歳の違う,昭和30年製の息子ができてしまったのである。なお,230は三菱,231は日車で共に昭和31年製である。その後,川崎で3輌が新製されたが,232,2200,2201とはならず,2200〜2202としたため,232は永久欠番となってしまった。私有貨車番号付番の妙というべきか混沌というべくかであるが,番号の話でこれだけの話が書けてしまうとは,ファンにとってありがたい形式である。

 閑話休題。本車は新潟製タム200形として最後の新製車である。新潟鉄工所は戦前製タンク車のトップメーカーで,本形式も75輌と,全109輌中69%を占めている。しかし,「最初と,最後には変形車が生まれる」とのタンク車の第?法則としてあるように,本車は新潟製のタム200形とは,似てもにつかない外観である。本車の仲間といえば,昭和32〜34年に新潟でタンク体の更新(載せ替え)を行った,251,277,279の3輌のみである。

■新潟製標準車は,「プロフェッサー吉岡のホームページ」私有貨車外観研究室第42週に写真と解説があります。→外観研究室第42週タム200形220へ

 

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