油槽車研究室  私有貨車手続き、その他

鉄道公報 明治40年6月15日 第65号

注意事項(ライジングサン石油所有油槽車の運延防止について)

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2004/8/1作成

■解説

 鉄道公報は明治40年4月1日に帝国鉄道庁誕生と共に生まれた。鉄道公報は貨車研究のもっとも基礎的な資料で、私有貨車や国鉄貨車の異動を初めとした宝の山である。

 鉄道公報明治40年6月15日付第65号に興味深い記述を発見した。機関車の牽引力が不足した場合、組立駅ではライジングサン石油所有の油槽車を後回にされ、輸送が遅れるため、一般貨車と同様に速送することを注意している。 当時のライジングサン石油油槽車は山陽鉄道が国有化されるまでは同鉄道に車籍を置く私有車であったと考えられる。これらの油槽車は明治40年8月1日から実施された私有貨車手続きの別表では現れず、明治40年12月19日付の鉄運乙1777号で別表に追加(私有貨車)となっている。山陽鉄道の国有化が完了した明治40年1月であるから、この11ヶ月間の車籍がどうなっていたか不明である。

 この注意事項は、当時のライジングサン石油油槽車の運用が判る貴重な資料である。鷹取発の着駅は大阪、和歌山、岡山であり、神奈川発の着駅は大崎、静岡、山形、刈谷、八王子、平塚であった。それにしても、鷹取→大阪の輸送日数が5日、神奈川→大崎が9日間とは呆れるばかりである。明治期の油槽車の輌数が意外に多かったのは運用効率に低さにも影響していたのかもしれない。

当時のライジングサン石油の油槽車(写真は福田所蔵)

ライジングサン石油 57 ライジングサン石油 24

鉄道公報 明治40年6月15日 第65号

注意事項

  油槽車運送方ニ就イテ 油槽車ノ回着運延ノ事例不小右ハ牽引力不足等ノ場合中継駅ニ於イテ己ムナク停泊シタルモアルヘケレモ入替及組立ノ際自跡廻シニセラルヽコトアルヤモ測リ難ク果シテ右様ノ事実アリセトハ不都合ノ義ニ付発着駅ハ勿論途中中継駅ニ於イテハ一般貨車同様速送ヲ期スルコトニ注意スヘシ左ニ去五月中鷹取及神奈川発ライジンングサン石油会社ノ油槽車ニシテ運延ノ著シキモノヲ掲ク

 

発駅

着駅

車号

発送ヨリ到

着迄ノ日数

記事

鷹取

大阪

1,57

 

23

 

和歌山市

18

復路 大阪駅 13日着15日発

岡山

 

大阪

4,6,7,14,16,19

 

23

 

神奈川

大崎

36

 

67,72

内5日間発駅に滞泊

静岡

71

 

山形

81

14

 

大崎

76

13

 

刈谷

67

 

70

 

八王子

60

 

平塚

77

内4日間発駅に滞泊

八王子

62,64

内5日間発駅に滞泊


鉄道公報 明治40年6月15日  注意事項(油槽車運延)   原文

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