貨車銘板研究室−035

梅鉢鉄工場→梅鉢車輌→帝国車輌→東急車輌

昭和37年 帝国車輌 (タキ3000形23415)

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2003/4/25 作成

■社名・工場の変遷

明治23年

創立

(個)梅鉢鉄工場
昭和11年

設立

梅鉢車輌(株)
昭和16年

改称

帝国車輌工業(株)
昭和43年

吸収合併

東急車輌(株)大阪工場
現在も盛業中

■ 昭和37年 帝国車輌 写真156

 帝国車輌の歴史は古く, 明治23年創業の梅鉢鉄工場三菱まで遡る名誉ある会社である。梅鉢鉄工場の創業者は梅鉢安太郎で,養父の濃鍛冶業を継ぎ,堺市七道の工場で鎌や鍬などの農機具の製造をおこなった。鉄道車輌の製造は明治20年代末からで路面電車を手がけた。昭和11年には個人会社から株式会社となるが,社長であった梅鉢安太郎の死後,後継者の問題で事業が悪化し,昭和13年には京成電鉄の社長を2代目社長として迎えている。その後,京成電鉄が株を100%取得し。昭和16年には鳳南町に工場を新設し,七道の工場を移転し,社名も帝国車輌工業株式会社と改称した。

 戦後になると,タキ3000形を初め多くのタンク車を製造したが,設備投資と合理化が遅れ,昭和43年に東急車輌に吸収合併され,帝国車輌の名は消滅した。東急車輌大阪工場となってからはコンテナと分岐機の製造工場となった。

 帝国車輌の銘板は社名4文字+製造年のオーソドックスのものであった。社名の工業は省かれていた。小生が見た帝国車輌の銘板はこの1種類だけである。

 この銘板の主は,タキ3000形23415である。帝国車輌はタキ3000形を75輌製造したが本車は帝国車輌最後のロットである23395〜23417の23輌の1輌として誕生した。所有者は丸善海運,常備駅は下津である。タキ3000形の末期であるため外観・構造はメーカーの特色が乏しい。タンク体は実容積41.1m3,内径2,050mm×長さ12,650mm,台枠長さ13,500mm,ボギーセンター間距離10,200mmとこれまた標準的な数値である。斜め一枚もののタンク受台は帝国車輌として初めての形態であるが,これも当時の標準形態そのものであった。

 走り装置はTR41Cであったが,写真ではトキ25000形の廃車発生品であるTR209に履き替えていた。所有者は昭和41年に丸善石油に改称され,44年には加茂郷に異動した。昭和47年には日本石油輸送,浜五井常備に移った。その後も長生きし,タキ3000形最後の日となった平成14年3月29日に廃車となった。

写真157 タキ3000形23415

昭和63年1月17日 村田

 

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2003/4/25 作成