【濃硫酸タンク車の系譜】

平成13年9月8日修正 私有貨車研究所に戻る


■濃硫酸とは

 硫酸は強酸化性・腐食性を持つ無色油状液体で、100%硫酸の比重は1.84、通常流通品は98%である。水で希釈すると希硫酸となるが、国鉄では比重1.59(濃度では約70%)を越えるものを「濃硫酸」、それ以下は「希硫酸」と定義していた。
 発煙硫酸は濃硫酸に無水硫酸ガスを吸収させたもので、タンク車輸送される製品は無水硫酸の含有量が20〜30%(比重は1.9前後)のものである。当初は発煙硫酸専用車が製作されたが、その後は濃硫酸タンク車での兼用が許可された。
 濃硫酸は鉄・鋼に保護皮膜を形成するため、タンク体には普通鋼が使用可能である。高比重のため、荷重の割にはタンク体が細く小さい。高濃度の発煙硫酸は低温で固化するため、加熱管・保温用キセなどを装備した車両もあったが、両数的には僅かであった。

■濃硫酸タンク車のはじまり リ2490形M44

 大正3年製のリ2490形M44が濃硫酸タンク車の第一号で、わが国の化成品タンク車としても最古のものである。
 10トン積の小さな2軸車で、大正3〜9年に18両が製作された。昭和元年の改番でア2490形、昭和3年の大改番でタ1300形となったが、昭和38年に形式消滅した。

■15トン車の登場 り2470形M44とタム400形

 大正12年には15トン車が登場した。後のタム300形で36両が製作されたが、最後まで残った車両もヨンサントウで廃車となった。
 昭和2年、発煙硫酸専用車としてア2510形M44が誕生した。後のタム400形で、濃硫酸と発煙硫酸とが兼用可能となったため、濃硫酸専用車の標準形式となり、昭和43年まで42年間にわたって400両以上が製作された。

タム1530 外観研究室【第8週】

昭和24年立山重工製。
戦災復旧車

タム1621 P00007

昭和28年5月造機製。
戦後製では多数派の一つ。

タム10407 P00239

昭和37年10汽車東京製。
特異な受台は当時の汽車製だけの特徴。

■30トン積ボギー車の誕生 タキ300形

 昭和7年、濃硫酸で初のボギー車としてタキ300形30トン車が誕生した。戦前・戦中期はボギー車は少数で、合計でも34両しかない、量産されたのは昭和20年代後半からである。昭和51年まで45年間に483両が製作されたが、この数字はタンク車における最長製作期間のレコードとなっている。

 ・三井三池タオ40 タキ300形トップナンバーのなれの果て
 ・タキ334      戦後製第一号でTR24付の変形車
 ・タキ4586     ラストナンバーでドームレスの変形車

・タキ314 P00522

 昭和31年12月飯野製
 戦後製では多数派を占めるタイプの一つ

 

 ・タキ1351 P00524

 昭和31年12月飯野製
 戦後製では多数派を占めるタイプの一つ

 ・タキ4333 P000141

 昭和31年12月飯野製
 戦後製では多数派を占めるタイプの一つ

■35トン車の登場 タキ4000形

 昭和12年に製作されたタキ4000形は、わが国初の「35トン積」タンク車であった。タキ300形をそのまま大型化したもので、戦前製は僅か10両であったが、昭和35年に製作が再開され、昭和43年までの32年間に351両が製作された。
 なお、本形式は製造時期により番台別けがされており、戦前製は4000〜09、戦後製は4050以降と区分されている。

 タキ24000 P00285

 昭和38年8月富士重製
 最もありふれたタイプ


■40トン車の出現 タキ5750形

 昭和41年に登場したタキ5750形は、液体化成品で初の40トン車であった。タンク体はドームレス構造で、材質に耐候性高張力鋼を用いて薄肉化した。下回りでは台枠の幅を狭くすると共に、枕梁間の台枠側梁を省略して軽量化した。昭和50年までの10年間に500両が製作された。

・タキ5750形の形式解説は私有貨車セミナー第77〜85回(RM194〜204号)を参照のこと。

 ・タキ25793 P000228

 昭和42年12月汽車東京製
 タンク体が細くて長いのが汽車製の特徴

 ・タキ75782 P000291

 昭和44年7月川崎製
 これまた最多のタイプ

■保安対策車への移行 タキ29300形とタキ46000形

 保安度向上の観点から、化成品タンク車には台枠側梁の設置が義務付けられたため、荷重を1トン減の39トンとしたのがタキ29300形で、昭和51〜55年と平成3年以降に42両が製作された。なお昭和60〜平成2年の間は、余剰のタキ45000形石油類専用車を改造したタキ46000形38トン車が71両製作されている。

・タキ23900とタキ46000形の形式解説は私有貨車セミナー第86回(RM205号)を参照のこと。


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