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2009/11/13 R1.0

ア1560形 5噸積油槽車
[M32飯田町工場] 甲武鉄道 ぬ1〜9(9輌)→小倉常吉1〜9(9輌)→小倉常吉 い1〜9(9輌)
→ア1560形1560〜1569(9輌)

明治32年に小倉常吉が新潟から東京へ灯油を輸送するために用意した油槽車である。実際の所有者は甲武鉄道で記号番号は,ぬ1〜10であった。自社の飯田町工場で新製され,荷重は油槽車として最低の5噸である。油槽車黎明期の車輌であり浅野石油部が深川車輌に製造させた6噸車に次ぐ我が国2番目の国産油槽車である。甲武鉄道での車種名は当時の写真から判断すると「燃料運搬車」であった。甲武鉄道所有ではあるが,小倉常吉が独占的に使用していたようで側梁には「甲武鉄道株式会社」,タンク体には甲武鉄道の社紋と「小倉常吉」が標記されていた。 

明治30年代後半には所有者が甲武鉄道から牧口孝明へ移ったが従来どおり小倉常吉へ貸し渡されていた。小倉常吉所有となった時期は定かではないが,明治38年頃ではないかと推測される。い1〜9の記号番号はこのとき付番されたと考えられ,それ以前は「い」が無く単純に1〜9であったようである。明治44年の称号規程の改正ではア1560形1560〜1569に改番された。 

タンク体はリベット組立の鉄製円筒形で,鏡板に平板を用い胴板を3ピース構成としタンク中央上部にはドー

 

ムをその隣の胴上部には吐出弁操作ハンドルを設けていた。また鏡板上部にはガラス管式液面計を設けていた。台枠は全て木造,タンク体と台枠の固定は横木方式の一種で,大きな板状の2組の受台と4本の締金でタンクを支え,台枠端部に設けた横木でタンク体鏡板を押さえ,この横木と反対側の台枠端部間に渡したタイバーによりタンク体を襷がけにして固定する他に類を見ないものである。ドームへ上る梯子は無く代わりにタンク体中央部に片側3個の踏段を設けていた。さらに手摺も無くタンク体を襷がけしていたタイバーを手摺の代用とする構造であった。新製時の写真によるとブレーキは一切無く後に4枚の車輪両側に作用する片側ブレーキが設けられた。

大正7年の私有貨車手続改正では隅田川が受渡場所に指定された。大正10年には,自動連結器取替の準備として中梁の取付と縦締棒の取替が一部の車輌に実施された。しかしタンク体が小さく7噸積への増噸が不可能であったため,大正12年に6輌が,残る4輌も14年に全車廃車となった。

諸    元
形式 ア1560
製  造 M32飯田町工場
容  積 6.74m3(238ft3)
荷  重 5噸
自  重 5.50噸
換算比重 0.74
タンク内径 1524mm(4 ' 6")
タンク長さ 4585mm(15' 1/2")
台枠長さ 4597mm(15' 1")
軸  距 2743mm(9' 0")
走り装置 シュー式
ブレーキ 車側制動機
 
 
明治44年貨車略図

甲武鉄道ぬ7
P:福田孝行所蔵

 

タンク右側に「甲武鉄道」の文字が書かれている。タンク左側の「ぬ七」の上の文字は「運搬車」で,下の写真と比べると「燃料」の文字が消えていることが分かる。

 

 

甲武鉄道ぬ1,6,3,不明
P:福田孝行所蔵

 

5輌編成の写真。手前から,ぬ一,ぬ六,ぬ三が読み取れるが奥の2輌は判別できない。「ぬ一」標記の上には「燃料運搬車」と書かれ小倉常吉の文字が何処にも無いことから,蒸気機関車の燃料輸送用に使用していたのかもしれない。