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2009/11/4 R1.0

ア1530二代形 10噸積油槽車
[M41新潟] 中野鉱業部ナ8〜22(15輌)→ア1530初代形1530〜1544(15輌)→車籍除外
→[T14新潟改造]ア1530形二代形1530〜1535,1537〜1539,1543(10輌)→タ500形500〜509(10輌)

大正14年,2軸油槽車15輌から3軸油槽車10輌が製造された。まさに空前絶後の出来事である。種車はア1530初代形1530〜1544で,改造は新潟鉄工所により実施された。誕生した10輌の形式は改造前と同じア1530形で6月11日付けで1530,1532,1533,1535,1537の5輌が,7月8日付けで1531,1534,1538,1539,1543の5輌が車籍編入された。

所有者の中野興業は費用対効果の少ないこの改造を何故行ったであろうか。大正期は中小の石油会社が日本石油などの大企業に合併吸収され,これら大企業が20トン積車の大増備が行った時代である。中野興業もア27350形20噸積車を5輌新製したが,他は7トン積車ばかりであった。大正14年には従来の螺旋・連環連結器を自動連結器に取り替える大事業が実施されることになり,緩衝器取付けのため台枠を大改造する必要があった。これらの費用は鉄道省が負担するため,この機会を利用すれば低コストで10トン車が保有できると考え,3軸車への大改造を決断したのではなかろうか。

 

改造内容は2軸車3輌を解体して3軸車2輌に組み立てる大がかりなものである。タンク体は,4ピース構成の種車3輌(A〜C)の内,A・Bタンク体の鏡板付きの1ピースを一旦外し,鏡板及びドームを撤去した種車Cのタンク体胴部を中央から二分割し,A・B各々の間に組み込んだと推測される。台枠も種車の台枠を切り継いで使用した。走り装置は軸距を変更し,シュー式を3軸車特有の長リンク式に改造した。

登場時の受渡場所は新津で,昭和2年には関屋へ異動している。翌3年の形式称号の改正ではタ500形が与えられタ500〜509となった。18年には合併により帝国石油へ移り,共同企業を経て敗戦後の21年には全車日本原油輸送(→日本石油運送→日本石油輸送)所有となった。時期は不明だが,タンク体の固定をセンタ ーアンカ方式に改造する更新修繕を受けた車輌もあった。戦後になると石油類(除揮発油)専用となった。昭和30年に入ると老朽タンク車淘汰の対象となり,36年までに全車廃車となった。

諸    元
 
形  式 ア1530二代
製  造 T14新潟改造
容  積 12.74m3(450ft3)
荷  重 10噸
自  重 8.70噸
換算比重 0.79
タンク内径 1524mm (5' 0")
タンク長さ 6985mm(推定
台枠長さ 7849mm(25'9")
軸  距 2515+2515mm
     (8' 3"+8'3")
走り装置 リンク式
ブレーキ 車側制動機
 
昭和4年貨車形式図
ア1531二代

P:福田孝行 所蔵